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「増鏡」浦千鳥(その9)

延慶えんきやう二年十月二十一日御禊ごけい、同じ二十四日、大嘗会だいじやうゑ応長おうちやう元年ぐわんねん正月三日、御年十五にて御かうぶりし給ふ。御いみな富仁とみひとと聞こゆ。引き入れには関白殿、理髪家平いへひらつかうまつり給ふ。南殿の儀式果てて、御よそひ改めて、さらに出でさせ給ふ。清涼殿せいりやうでんにて御遊び始まる。摂政殿こと、ふしみと言ふ名物、右大将公顕きんあき琵琶玄上げんじやう、土御門の大納言冬時ふゆときしやう蚶気絵きさぎえ和琴わごん大炊御門おほひのみかど中納言冬氏ふゆうぢ、笛は西園寺さいをんじの中納言兼季かねすゑ、別当季衡すゑひらしやうの笛吹き給ひけり。篳篥ひちりき公守きんもりの朝臣、拍子ひやうし有時ありとき、めでたく様々面白くて明けぬ。五日には後宴ごえんとて、今少しなつかしう面白き事どもありき。この御門をば、新院の御子になし奉らせ給ひしかば、朝覲てうきんの行幸の御はいなども、この御前にてぞありける。広義門院くわうぎもんゐんも、同じく国母の御心地にて、よろづめでたかりき。




延慶二年(1309)十月二十一日に御禊([即位後の大嘗祭の前月=十月月下旬。に、天皇が賀茂川などに臨んで行なったみそぎ])、同じ二十四日に、大嘗会([即位後初めての新嘗祭])、応長元年(1311)の正月三日、花園天皇(第九十五代天皇)は御年十五で冠([元服])なさいました。諱は富仁と申されました。引き入れ([元服のときに冠をつけさせる役])には関白殿(鷹司冬平ふゆひら?後照念院関白)、理髪([元服または裳着の時、頭髪の末を切ったり結んだりして整える役])は家平(近衛家平)が務められました。南殿(紫宸殿)の儀式が終わり、花園天皇は衣装を改められて、再びお出になられました。清涼殿(天皇の御殿)で遊び([管弦])が始まりました。摂政殿(九条師教もろのり?浄土寺摂政)が箏(箏の琴)、ふしみ(伏見?)とという名器、右大将公顕(西園寺公顕)が琵琶玄上([平安時代の皇室御物の 琵琶の名器。玄象])、土御門大納言冬時(土御門冬時)が笙蚶気絵(大蚶気絵。笙の名器らしい)、和琴は大炊御門中納言冬氏(大炊御門冬氏)、笛は西園寺中納言兼季(西園寺兼季)、別当季衡(西園寺季衡)も笙の笛を吹かれました。篳篥は公守朝臣(洞院公守)、拍子は有時(綾小路有時)、華やかで様々面白く遊んでいるうちに夜が明けました。五日には後宴と申して、少し古風で趣きのあるものがございました。花園天皇(第九十五代天皇)を、新院(第九十三代後伏見上皇)の子になされたので、朝覲([天皇が父母もしくはそれに準じる太上天皇・女院に拝礼すること])の行幸の御拝も、後伏見院の御前で行われました。広義門院(西園寺寧子やすこ。伏見天皇女御)も、同じく国母のように思われて、万事おめでたいことでございました。


続く


by santalab | 2014-08-20 08:23 | 増鏡

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