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「増鏡」秋のみ山(その17)

二の左に新兵衛、中宮内侍、後に准后じゆんこうと聞こえにき。尻には夏引き・いはねを。三の車に少将内侍・尾張をはりの内侍、尻に青柳あをやぎ今参いままゐりなど聞こゆ。上達部、御まへの座に着きて後、御台まゐる。役送公泰きんやす宰相さいしやう中将ちゆうじやう陪膳はいぜん右大将兼季かねすゑ、そのほど、舞人まひびとひざまづく。地下のまひは目馴れたる事なれど、をりからにや、今日けふは異に面もち足ぶみもめでたく見ゆ。法皇の御覚えにて、寿王ずわうと言ふ人、松殿のなにがしとかやが子なり。落蹲らくそんなど舞ふと聞きしかど、夜も深け雪も殊に掻き暗して、何の文目あやめも見えざりき。




二の車の左には新兵衛、中宮内侍(阿野廉子れんし)、後に准后と呼ばれたお方です。尻には夏引き・いわねお(岩根尾?)。三の車には少将内侍(菅原在仲ありなかの娘)・尾張内侍、尻には青柳・今参りなどとお聞きしました。上達部が、御前の座に着いた後に、御台([食物をのせる台])が参いました。役送([天皇の食事、大饗・節会などの膳部ぜんぶを陪膳に取り次ぐ役])は公泰宰相中将(洞院公泰)、陪膳([宮中で天皇に御膳を奉る時、また武家で儀式の時など、食膳に侍して給仕する人])は右大将兼季(今出川兼季)でございました、そのほど、舞人は御前に跪きました。地下([昇殿を許されない官人の総称])の舞は見慣れたものでしたが、朝覲([天皇が年の初めに太上天皇,皇太后の宮に行幸して,正月のあいさつをすること])の行幸だからでしょうか、今日はとりわけ表情足ぶみもおめでたく思われました。法皇(第九十一代後宇多院)が寵愛されておられました、寿王という人は、松殿の某とかの子でございました。落蹲([雅楽の舞楽で、二人舞の納曽利なそりを一人で 舞うときの呼称])を舞ったとお聞きしましたが、夜も深け雪もひどく降っておりましたので、まったく見分けることはできませんでした。


続く


by santalab | 2014-09-01 08:48 | 増鏡

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