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「増鏡」おどろのした(その11)

この撰集よりさきに、千五百番の歌合せさせ給ひしにも、優れたる限りを撰ばせ給ひて、その道のひじりたち判じけるに、やがて院もくははらせ給ひながら、なほこの浪には立ちをよび難しと卑下せさせ給ひて、判の言葉をば記されず、御歌にて優り劣れる心ざしばかりをあらはし給へり。中々いとえんに侍りけり。かみのその道を得給へれば、下もおのづから時を知る習ひにや、男も女も、この御世に当たりて、よき歌詠みおほく聞こえ侍りし中に、宮内卿の君と言ひしは、村上の帝の御後に、俊房としふさの左の大臣おとどと聞こえし人の御すゑなれば、早うは貴人あてひとなれど、つかさ浅くてうち続き、四位ばかりにて失せにし人の子なり。まだいと若きよはひにて、底方そこひもなく深き心ばへをのみ詠みしこそ、いとあり難く侍りけれ。




この撰集(『新古今和歌集』)より前に、千五百番の歌合せ(千五百番歌合(1201))を行い、優れた和歌の限りを選ばせて、その道の聖たちに判定させましたが、やがて後鳥羽院(第八十三代天皇)も加わられましたが、なおこれらの秀歌には敵わないと卑下されて、判定の言葉は記されず、歌にて優り劣れるお気持ちを表現されたのでございます。たいそう風流でございました。その昔のその道を知れば、その先も自然とその時々に適うものでございますれば、後鳥羽院の御世には、歌詠みの上手が多くおられたそうでございますがその中に、宮内卿の君(後鳥羽院宮内卿)と申された人は、村上の帝(第六十二代村上天皇)の後に、俊房左大臣(源俊房)と申された人の末でございますれば(俊房の嫡男師頼もろより、師頼の子が師光もろみつ、その師光の娘が後鳥羽院宮内卿)、その頃は貴人でございましたが、官浅くしてうち続き、四位ばかりで亡くなられた人の子でございました。まだちても年若くして、底方([限り])なく深い心を詠まれました、そうそうおれれない人でございました。


続く


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by santalab | 2014-09-14 08:36 | 増鏡 | Comments(0)

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