男君、「さも思さるべきことなれど、この人も、年を数経るに、十二ばかりにこそあるらめ。大きさ、掟こそかしこくとも、人の世に経る有様、限りあるものなれば、率て出でて、交じらひなどをこそせさせめ。その後見も、誰かせむ。親なき人は、身もいたづらになるものなり。『昔、千蔭のおとどの、ただ一人子を、継母に謀られて、今は、音にも聞こえず』となむ言ふなる。この人につきてこそは、かかる住まひも思し立ちけるを、これをいたづらになさぬに思し取りて、なほ、出で給へ」と、切にのたまへど、女、なほ、あるまじきことに思ひ離れたれば、「あこ一人を率て出でても、ここにとまり給ひて、静心なく通ひ歩かむに、知らぬ人なく、皆知りなむ。また、あこを、かく見置きて、我も、心のどかに、えあるまじ。この日ごろのほどだに、魂の静まる方なく思ひ焦られつるを、はや、聞こえそそのかせ。年ごろ、知らで惑はかしつるも、わが罪にあらず。そも、親に従ひしなり。今は、『孝ずる』と思ひて、出だし奉れとのたまへば、子も、かくのたまふをかたじけなく、いづれも同じ親なれば、さる孝の子の心にて、母に、「かかるあさましき所だに、いときなき身一つを頼みて入り給ふに、今は、また、出で給はむことも、『おのれがゆゑ』と思せ」と、切に言ひ、おとども、「『一つ所にあらじ』と思さば、参り来でもあらむ。ただ、これを、思ほす所にて」と、切にのたまへば、「この御心ざしはむげになしと見てしかば、げに、この子につきて、かかる所にも来ずやはありし」と思ひなして、ともなくも言はれず、弱りたる気色を、「今は、また、『否』とのたまふとも、御心に任すべきにもあらず」と、ただ急がしに急がして、衣取り出でて着せて、そそのかし給へば、あれにもあらずながら出で立つ。琴どもはうつほに隠し置きて、出でて行く。
母の男君は、「確かとは思いますが、母も、年を数えれば、もう十二年もここにおります。思いの強さ、決心はとてもりっぱなことですが、人の世を過ごす身には、限りがありますから、ここから連れ出して、人と交じらわせてあげたいのです。母の後ろだても、誰かがしなくてはなりません。親のいない者は、たいして役には立ちません。『昔、千蔭の大臣(右大臣でした)に、ただ一人子がおりましたが、継母にたぶらかされて、今では、噂にも聞かない』ということです。この人(右大将)だからこそ、ここから出て行こうと心に決めたのです、この機会を無駄にせぬよう右大将の思いをくみ取って、すぐに、ここから出て行きましょう」と、強く頼みましたが、女は、それでも、残念なことに思いが異なるのなら、「お前一人だけがここを出て行こうが、わたしはここに留まりましょう、心を決めかねたままお前のところへ行けば、わたしを知らない人はいなくなって、皆が知るところとなります。わたくしはただ、お前を、見ていればそれで満足です、それ以外でわたくしが、心穏やかに、なることはありません。この頃は特に、魂の静まる時もないほどお前のことを恋しく思っています、早く、ここから出ていきなさい。お前も大きくなったし、思いのほかにお前を失ったとしても、わたくしの罪ではありません。そもそも、子は親に従うものです。今は、『孝行する』と思って、ここから出ていきなさいと申せば、子も、母が言う言葉がもったいなく、母も右大将も同じ親(子から見れば)なので、その孝の子の心で、母に、「こんなみすぼらしい所にも、幼いわたしを頼りにしてやってきたのですから、今は、同じように、出ていくことも、『わたしのため』と思ってください」と、強く頼み、右大将も、「『同じ所に居たくない』と思うのであれば、子を訪ねるのもよいではないか、ただし、通うのは、わたしの決めた所からにしなさい」と、強く言ったので、母は、「このわたしを思う右大将の気持ちを無下にはできません、ならば、この子に付いて、どんな所へでも行くべきなのか」と思って、はっきり決めることができずに、困ったような表情を浮かべていたので、右大将は、「今は、前のように、『出て行かない』と申すとも、心のままにさせることはできない」と、急ぎに急いで、着物を取り出して着替えさせて、せき立てたので、母は我を忘れるようにして出て行きました。琴はうつほに隠し置いたまま、出て行きました。
(続く)