八月十三日の月隈なく澄み上りて、三十六宮まことに残る隈なくおもしろきに、夜は殊なる召しなくて参ることなし。陣の強者いつくしう九重を護り、出で入る人をも厳しく問へば、わざと分け入ることもせず。暇ある心地して独り眺め臥したるに、心は三千里の外に憧れて、住み馴れし方の恋しさも、いとど紛るる方なければ、ただ、人一二人を具して、行方もなく道に任せて出づれば、知り知らぬ秋の花色を尽くしていづこを果てともなき野原の、方つ方は遥かなる海にて、寄せ返る浪に月の光をひたせるを、遥かに眺め遣りて、道に任せて馬を打ち早め給へば、夜中ばかりにもなりぬらむと見ゆる月影に、松風遠く響きて高き山の上に、かすかなる楼を造りて、琴弾く人居たり。
八月十三日の月は雲なく照り、三十六宮(三十六は漢の宮の数らしい)は影さえなく趣きがありましたが、夜は唐皇帝からのお呼びもなくて内裏には参りませんでした。陣の強者が厳重に九重([宮中])を護り、出入りする者を厳しく尋問するので、わざわざ宮内に入ることはしませんでした。暇が出来たので独り月を眺めていましたが、心は三千里のかなたへ馳せて、住み慣れた日本が恋しく思われて、心を紛らわせようもなく、ただ、一二人ばかり連れて、行く先もなしにただ道なりに都を出ました、見たこともない秋の花が咲き乱れた果てしない野原の、一方は遥かな海でした(唐の都は長安で、海はないが)、寄せ返す浪に月の光が映るのを、遥かに見遣りながら、ただ足の向くままに馬を進めると、夜中にもなったかと思う月影が照らす、松風が鳴り響いく高山の上に、かすかに見える楼が見えて、琴の音が聞こえました。
(続く)