后、宗と頼み給へる臣下を召し寄せて、重ねて謀を定め給ふ。「燕の軍の矢先を恐るるによりて、愚かに都の境を出でぬ。蜀山の険しきを頼みて、わづかに人の命を助けむとするに、道遠人疲れて、あなたの軍すでに近付きにたり。言ふ効なき道の傍らに宿りて、狩場の出でたる挊木の如くに命を亡ぼさむこと、同じ身の恥と言ふ中に、思ふところなく、人の世まで語り伝へられむ事は、各々傷み思はざるべしや。同じ失はむ命を、なほひとかた思ひ得るところありて、仇の謀を乱らむ事、いかがすべき」とのたまふに、さらに謀を出だしわきまへ申す人もなし。面の色々変はり、言葉声を失ひて、思ひ惑へる様、まことに事極まりて見ゆ。后、重ねてのたまふ。
后は、とりわけ頼りにしている臣下を呼び寄せて、重ねて策を講じられました。「燕の軍兵の威力を恐れて、愚かにも都の境を出ました。蜀山(現中国四川省)は難所で敵から逃れることも出来ると頼みにして、少しでも多くの人を助けたいと願いましたが、道は遠く人は疲れて進みかねているうちに、敵軍はすでに近付いております。道の傍らで仮宿りする身となって、狩場に出た挊木(鹿)のように徒らに身を亡ぼせば、同じ恥とは申せ、思いもしないことでしょうが、後の世まで語り伝えられることにもなりましょう、各々恥ずかしいとは思わないのですか。同じく失う命ならば、今一度面目を致し、敵に一矢を報いるべきです、何か案はありますか」と申されましたが、誰一人策を申し上げる人はいませんでした。皆顔色を変え、言葉を失い、落ち着きを失って、何も思い浮かばないようでした。后は、重ねて申されました。
(続く)