宮の宣旨も、いたう時めきて、三位してき。その御腹の若宮は、花山院の大納言師賢の御乳母にて、殊の外に傅かれ給ひしも、この頃は、引き忍びておはします。母君も世の憂さに堪えず、様変へて、心深くうち行ひつつ、涙ばかりを友にて、明かし暮らすに、叔母北の方さへ失せたりと聞きて、時々言ひ交はしてける生女房の許より、ほど経て後なりければ、
うきにまた 重ぬる夢を 聞きながら 驚かさでも 歎き来しかな
返し、宣旨の三位殿、
うきにまた 重なる夢を 聞きながら 驚かさでは など歎きけん
この
兄の
為定の中納言も、
前の御世には、覚え華やかにて、いと時なりしに引き返へ、しめやかに徒然と籠もり
居たれば、
祖父の大納言
為世、度々院の御気色賜はられけれど、
厭ふようなれば、心許なう思ひ侘びて、春宮の大夫
通顕の君して、重ねて奏しける。
和歌の浦に 八十余りの 夜の鶴 子を思ふ声の などか聞こえぬ
宮の宣旨(二条為子)も、後醍醐院にたいそう寵愛されて、三位になられておられました。その子であられる若宮(?)は、花山院大納言師賢が乳母となられて、たいそう大事にされておられましたが、この頃は、忍んでおられました。母君(二条為子)も世の悲しみに堪えず、様を変えて、ただ一心に勤行されておられましたが、涙ばかりを友とされて、日々を送られているほどに、叔母北の方さえ亡くなられたと聞いて、時々文の遣り取りしていた生女房([宮仕えにまだなれていない女房])の許より、ほど経て後のことでございますれば、
悲しみにまた悲しさが重なられたそうでございますね。きっとたいそう驚かれて、いっそう嘆き悲しんでおられることでございましょう。
返し、宣旨三位殿(二条為子)より、
悲しみに悲しさを重ねてまるで夢の出来事のように信じることができずにおります。驚きはさることながら、どうして嘆かずにはおれましょう。
宣旨三位殿(二条為子)の兄であられた為定中納言(二条為定)も、前の御世には、後醍醐院の覚えも格別で、たいそうときめいておられましたが、今では悲しみに明け暮れて蟄居されておられました、祖父であられた大納言為世(二条為世)は、度々院(第九十五代花園院?)の気色を伺っておられましたが、嫌われているようでございますれば、心許なく思われて、春宮大夫通顕(中院通顕)の君(第九十三代後伏見院)を通して、重ねて奏上されました。
かつて後宇多院(第九十一代天皇)に『続千載和歌集』を撰進参らせたわたしもすでに八十を越えました。夜の鶴のように、子を思い嘆くこの声が聞こえませぬか。
(続く)