今年は祭りの御幸あるべければ、珍しさに、人々常よりも物見車心遣ひして、予てより桟敷などもいみじう造れり。使ひどもも、いかで人に勝らむと、互にいどみかはすべし。本院・新院・広義門院・一品の宮も忍びて入らせ 給ふなどぞ聞こえし。御車寄せには、菊亭の右の大臣の御子実尹の中納言参り給へり。殿上人も、良き家の君達ども、色許りたる限り、いと清らに好ましう出で立ち仕れり。御随身なども、花を折れる様なり。出だし車に、色々の藤・躑躅・卯の花・なでしこ・かきつばたなど、様々の袖口こぼれ出でたる、いと艶になまめかし。
この年は祭り(賀茂祭=葵祭。下鴨神社と上賀茂神社で、陰暦四月の中の酉の日に行なわれる例祭)の御幸があられるというので、珍らしさに、人々は常よりも物見車に気を配り、あらかじめ桟敷([祭りの行列や花火の見物 などのために、道路や川などに面してつくる仮設の席])などを美しく造っておりました。使いの者たちも、なんとかして人に勝ろうと、互いに張り合っておりました。本院(第九十三代後伏見院)・新院(第九十五代花園院)・広義門院(西園寺寧子。後伏見院の女御)・一品の宮(北朝初代光厳天皇)も忍んで入られた聞こえました。車寄せ([車を寄せて乗降するために玄関前に設けた屋根付き部分])には、菊亭右大臣(今出川兼季。太政大臣)の子であられる実尹中納言(今出川実尹)が参られました。殿上人も、良家の君達たちも、色を許された限り、たいそう清らかでりっぱな出で立ちでございました。随身([従者])なども、花を折ったように華やかでございましたよ。出だし車([女房・女官が出だし衣を飾りとして乗った牛車])から、色々の藤・つつじ・卯の花([ウツギ])・なでしこ・かきつばたなど、様々な花が袖口からこぼれ出て、艶やかで優雅でございました。
(続く)