花山院の大納言師賢は、千葉介貞胤後ろ見て、下総の国に下る。五月十日余りに都出でられけり。思ひかけざりし有様ども、いみじともさらなり。
わかるとも 何か歎かん 君住まで うき故郷と なれる都を
北の方は花山院の入道右の
大臣家定の御娘なり。その腹にも、また
異腹にも、
君達数多おはすれど、それまでは流されず。
上のいみじう思ひ歎き給へる様、あはれに悲しけれど、今は限りの対面だにも許されねば、晴るくる方なく
口惜しく、
万に思ひ廻らされて、いと人
悪し。
今はとて 命を限る 別れ路は 後の世ならで いつを頼まん
花山院の大納言師賢(花山院師賢)は、千葉介貞胤(千葉貞胤)の後ろ見で、下総国へ下られました。五月十日余りに都をお出でになられました。思いがけないことで、悲しさは申すまでもございませんでした。
別れることになったが悲しみなどない。君(第九十六代後醍醐院)がお住まいになられない、悲しい故郷となってしまった都ならば。
北の方は花山院の入道右大臣家定(花山院家定)の娘でした。北の方にも、また異腹にも、君達([子])が多くおられましたが、君達まで流されることはございませんでした。上(北の方)はたいそう嘆かれて、つらく悲しく思われましたが、最後の対面さえも許されなかったので、気分が晴れることもなくやり切れなくて、あれこれ思い悩まれて、たいそうおかわいそうでございました。
今となっては命の限りの別れでしょう。後世に再び逢えるかどうかも知りませんのに、今をおいていつ頼りにすればよいのでしょう。
(続く)