佐々木の佐渡の判官入道伴ひてぞ下りける。逢坂の関にて、
返るべき 時しなければ これやこの 行くを限りの 逢坂の関
柏原と言ふ所にしばし休らいて、
預かりの入道、先づ
東へ人を遣はしたる
返り事待つなるべし。そのほど、物語など情け情けしううち言ひ交はして、『何事もしかるべき
前の世の報ひに侍るべし。御身一つにしもあらぬ身なれば、まして
甲斐なきわざにこそ。かく
剛き
家に
生まれて、弓矢取るわざにかかづらひ侍るのみ、憂きものに侍りけれ』など、まほならねどほのめかすに、心得果てられぬ。
佐々木佐渡判官入道(佐々木道誉)が具行(北畠具行)に付き添って東国に下ったのでございます。逢坂の関(現滋賀県大津市にあった関)で具行は、
再び帰ることのない旅ならば、この逢坂の関を通るのも、今が限りぞ。
柏原(現滋賀県米原市)という所にしばらく留まって、預かり([罪人などを預かって監視したり世話をしたりする者])の入道(道誉)は、まず東国に使いを遣って返事を待つことにしました。その頃、具行は道誉と物語などを親密に交わして、『何事も前世の報いを受けるものよ。この身ひとつのことではないのだから、仕方のないことである。今こうして剛の家(武家)に生まれて、弓矢を取ることになったことを、残念に思う』などと、直接申すことはなけれどほのめかして、思い切れない様子でございました。
(続く)