十六日、七夜の御産養、内よりの御沙汰なれば、今少し、儀式殊にて厳めし。関白殿、右の大臣、右大将、具実、大納言定雅、公相、公基、実雄。中納言には、例の人々、顕親、実藤、公持、資季、公光、経光、定嗣、三位の中将通成、殿上人頭中将師継より始めて、残るは少なし。勅使蔵人の侍従宗基、目録持ちて参れり。大夫対面し給ひて、白き御衣被け給ふ。本宮の者どもにも、内より禄賜ふ。内膳司参りて、うるはしき作法にて、南殿より御膳参る様、日来のには似ず、けだかうめでたし。その後、御遊び始まる。人々の所作、さのみは珍しげなくて止めつ。
六月十六日の、七夜の産養([小児誕生の夜を初夜といい、その日から三、五、七、九日目に当たる各夜ごとに親戚・知人から衣服・調度・食物などが贈られ、一同参集して祝宴、和歌・管絃の御遊を催した])は、後嵯峨天皇(第八十八代天皇)が催されましたので、前にもまして、儀式は盛大でございました。関白殿(二条良実)、右大臣(西園寺実氏)、右大将(徳大寺実基)、具実(堀川具実)、大納言定雅(花山院定雅)、公相(西園寺公相)、公基(西園寺公基)、実雄(洞院実雄)。中納言には、いつもの人々、顕親(土御門顕親)、実藤(四辻実藤)、公持(一条公持)、資季(二条資季)、公光(滋野井公光)、経光(広橋経光=藤原経光)、定嗣(葉室定嗣)、三位中将通成(中院通成)、殿上人頭中将師継(花山院師継)をはじめ、残る人は少のうございました。勅使は蔵人の侍従宗基(藤原宗基)、目録を持って参りました。大夫(西園寺公相)が対面されて、白い御衣を贈られました。本宮(西園寺姞子?)の女房どもにも、後嵯峨天皇より禄が下されました。内膳司([律令制で、宮内省に属し天皇の食膳の調理をつかさどった官司])が参って、作法麗しく、南殿([正殿])より御膳が参りましたが、いつにもまして、気品がございました。その後、管弦の遊びがございました。人々の役割りは、例に同じですれば止めておきましょう。
(続く)