「さりや。その理を知ればこそ、止むる柵も効なけれ」とて、物をいとあはれに思して、十四日の月の雲間を分けて澄み上る空を、つくづくと眺め給へる御傍らめぞ、なほ似る物なく清らなる。
「はてもなく ゆくへもしらず てる月の およばぬ空に まどふ心は
言葉誤りにや」。ただ、心の内に思ふ事なれば、人の聞き分くべくもあらず。落つる涙を掻き払ふ
気配の、すずろに
哀れ偲ばれぬにや、
「あまつ空 よそなるくもも みだれなむ ゆくかたさらぬ 月とだに見ば
現心はとかや」賢しと聞こえながら、いかで知り給ひける
古言にか。人の聞きなしの
偽りにこそは。
后は「当然のことです。分かっていたことですが、わたくしの言葉もあなたを留めることはできませんでした」と申して、とても悲しそうに、十四日の月が雲間を分けて明るく照らす空を、ずっと眺められるその横顔は、例えようもなく美しいものでした。
「果てしなく行方も知らない照る月のようなあなたを、我が国に留めることもできなくて、ただ思い乱れる我が思いよ。
どこかおかしいですか」。ただ、心の内に思う気持ちですから、弁少将は何とも申し上げようがありませんでした。ただ落ちる涙を拭き払われるその表情が、とても悲しげに思われて、
「天にまします后ならば、言う甲斐もない雲にさえも心乱されることがございましょう。この月のように世を照らしておられるのですから。
ただの気の迷いでございましょう(あなたの本心を聞いてみたい)。」
賢き后と言えど、どうして古言(和歌)を知っておられたのでしょうか。きっと弁少将の聞き違いだったのでしょう。
(続く)