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「増鏡」久米の佐良山(その44)

内には女御もいまださぶらひ給はぬに、西園寺さいをんじの故内大臣殿の姫君、広義門院の御かたらに、今御方とかや聞こえて、かしづかれ給ふを、参らせ奉り給へれば、これや后がねと、世の人もまだきにめでたく思へれど、いかなるにか、御覚えいとあざやかならぬぞ口惜くちをしき。三条のさきの大納言公秀きんひでの娘、三条とて候はるる御腹にぞ、宮々数多あまた出で物し給ひぬる、つひまうけの君にてこそおはしますめれ。




内裏(北朝初代光厳くわうごん天皇)には女御もまだおられませんでしたが、西園寺故内大臣殿(西園寺実衡さねひら)の姫君が、広義門院(第九十三代後伏見天皇女御、西園寺寧子やすこ。光厳天皇の生母)のお側に、今御方とかと呼ばれて、大切にされておられましたのを、内裏に参らせますれば、このお方が后がね([将来、后になるはずの人])でしょうと、世の人も早々おめでたいことに思っておりましたけれども、どういうことでしょうか、寵愛のほどはかばかしくなく残念に思われました。三条前大納言公秀(三条公秀)の娘(三条秀子ひでこ)で、三条と呼ばれておりましたお方(光厳天皇典侍ないしのすけ)には、宮々が数多くお生まれになられて、遂に儲けの君([皇太子]。益仁ますひと親王。後の北朝第三代崇光すくわう天皇)に立たれたのでございます。


続く


by santalab | 2014-11-24 07:34 | 増鏡

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