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「増鏡」月草の花(その20)

さて都には、伯耆ははきよりの還御とて、世の中ひしめく。先づ東寺へ入らせ給ひて、事ども定めらる。二条のさき大臣おとど道平みちひら召しありてまゐり給へり。こたみ内裏へ入らせ給ふべき儀、重祚ちようそなどにてあるべけれども、しるしはこを御身に添へられたれば、ただとほき行幸の還御の儀式にてあるべき由定めらる。関白を置かるまじければ、二条の大臣、氏の長者ちやうじやを宣下せられて、都の事、管領くわんれいあるべき由、うけたまはる。あめの下ただこの御計らひなるべしとて、この一つ当たり喜び合へり。




都では、後醍醐院(第九十六代天皇)が伯耆国より還御されると聞いて、世の中は騒がしくなりました。後醍醐院はまず東寺(現京都市南区にある寺)に入られて、還御の段取りをお決めになられました。二条前大臣道平(二条道平。後醍醐天皇関白)が呼ばれて参られました。今度内裏へ入る儀式について、重祚([一度退位した天子が再び位に就くこと])のようなものでございましたが、璽の御筥([三種の神器の一つである八尺瓊勾玉やさかにのまがたまを納めておく箱])を身に添えられてのことであれば、遠所の行幸からの還御の儀式であるべきと決められました。後醍醐院は関白を置きたくなかったので、二条大臣(道平)に、藤原の長者([一門一族の統率者])であると宣下なされて、都の政を、管領([支配すること])せよと、命じられました。天下はすべて後醍醐院の思うままとなって、都の者たちはよろこび合ったのでございます。


続く


by santalab | 2014-11-28 08:11 | 増鏡

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