さて都には、伯耆よりの還御とて、世の中ひしめく。先づ東寺へ入らせ給ひて、事ども定めらる。二条の前の大臣道平召しありて参り給へり。こたみ内裏へ入らせ給ふべき儀、重祚などにてあるべけれども、璽の筥を御身に添へられたれば、ただ遠き行幸の還御の儀式にてあるべき由定めらる。関白を置かるまじければ、二条の大臣、氏の長者を宣下せられて、都の事、管領あるべき由、承る。天の下ただこの御計らひなるべしとて、この一つ当たり喜び合へり。
都では、後醍醐院(第九十六代天皇)が伯耆国より還御されると聞いて、世の中は騒がしくなりました。後醍醐院はまず東寺(現京都市南区にある寺)に入られて、還御の段取りをお決めになられました。二条前大臣道平(二条道平。後醍醐天皇関白)が呼ばれて参られました。今度内裏へ入る儀式について、重祚([一度退位した天子が再び位に就くこと])のようなものでございましたが、璽の御筥([三種の神器の一つである八尺瓊勾玉を納めておく箱])を身に添えられてのことであれば、遠所の行幸からの還御の儀式であるべきと決められました。後醍醐院は関白を置きたくなかったので、二条大臣(道平)に、藤原の長者([一門一族の統率者])であると宣下なされて、都の政を、管領([支配すること])せよと、命じられました。天下はすべて後醍醐院の思うままとなって、都の者たちはよろこび合ったのでございます。
(続く)