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「太平記」山崎攻の事付久我畷合戦の事(その1)

りやう六波羅は、度々の合戦に打ち勝ちければ、西国さいこくの敵恐るるに不足と欺きながら、宗との勇士と被憑たりける結城ゆふき九郎左衛門くらうざゑもんじようは、敵に成つて山崎の勢にくははりぬ。その外、国々の勢ども五騎十騎、あるひは転漕てんさうに疲れて国々に帰り、あるひは時の運をはかつて敵にしよくしける間、宮方は負くれども勢いよいよ重なり、武家は勝てどもつはもの日々に減ぜり。かくてはいかが可有と、世をあやぶむ人多かりけるところに、足利・名越なごやの両勢また雲霞の如く上洛しやうらくしたりければ、いつしか人の心替はつて今は何事か可有と、色をなほして勇み合へり。かかるところに、足利殿は京着きやうちやくの翌日より、伯耆はうき船上ふなのうへひそかに使ひをまゐらせて、御方に可参由を被申たりければ、君殊に叡感あつて、諸国の官軍くわんぐん相催あひもよほ朝敵てうてきを可御追罰由の綸旨をぞ被成下ける。




両(南北)六波羅は、度々の合戦に打ち勝って、西国の敵恐れるに足らずとうそぶいていましたが、主だった勇士と頼りにしていた結城九郎左衛門尉(結城親光ちかみつ。結城宗広むねひろの次男)が、敵となって山崎の勢に加わりました。そのほか、国々の勢どもが五騎十騎と、ある者は転漕([兵糧を陸と海から運ぶこと])に疲れて国々に帰り、ある者は時の運を窺って敵になったので、宮方(後醍醐院方)は負けても勢はますます増えて、武家(鎌倉幕府方)は勝っても兵は日々に減り続けました。このままではどうなることかと、世を危ぶむ者が多くいましたが、足利(足利高氏たかうぢ)・名越(北条高家たかいへ)の両勢が雲霞の如く上洛したので、いつしか人は心変わりして今は何事も心配あるものかと、顔色を戻して勇み合いました。やがて、足利殿(高氏)は京着の翌日より、伯耆の船上(現鳥取県東伯郡琴浦町にある山)に密かに使いを参らせて、味方に参る由を申されると、君(第九十六代後醍醐院)はとりわけうれしく思われて、諸国の官軍を集め朝敵(鎌倉幕府)を追罰すべきとの綸旨を下されました。


続く


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by santalab | 2014-11-28 12:23 | 太平記 | Comments(0)

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