人の思へるところをば、隈なく知れど、またせむ方もなければ、ただ恋の山路にのみ一方ならず惑ひて、月日は多く過ぎぬ。国に帰されむ事を誹れど、いと思ふ人々も、遥けき海を隔てて行き別れなむは、朝夕賢し愚かなりと見えむよりは、心安き方もあれば、やうやう夏のうちに、船出すべき由聞こゆるを、うれしと急がるべき道なれど、今はまた、ほのかに見えし影のみ忘られず悲しくて、いかなりし契りのはかなさとだに、またあきらめぬ夢ながらや漕ぎ離れなむと思ふに、引き返し、あらぬ涙ぞ色変はるべき。留めし袖の移り香に付けては、枕定めぬ方もなく、いかに寝し夜の悲しさの、身を責むる心地すれば、
まどろまず ねぬ夜にゆめの みえしより いとどおもひの さむる日ぞなき
弁少将は他人がどう思っているのかを、余すころなく知っていましたが、他方では、恋の山路にただただ心惑い、月日は過ぎて行きました。帰国することを非難しながらも、弁少将のことを良く思っていない人々と、遥か遠く海を隔てて別れ行けば、朝夕あれこれ煩わしく思われることもなく、気が楽になるように思えて、夏のうちに、船出すべきと聞こえて、うれしく思いながらも、今はまた、ほのかに見た女の面影を忘れられず悲しくて、何故のはかない契りであることか、夢とあきらめきれないままこの国を離れなければならないと思えば、思いとうらはらに、思わず涙で袖を濡らすのでした。袖に残る女の移り香に、心安く眠ることもなく、眠れぬままに悲しい夜を過ごすのは、我が身を責めるほどに心苦しくて、
眠れぬままに、現にもあらぬ夢を見ているような気がする。この思いはまるで覚めることのない夢のようなものだ。
(続く)