五月になりては、秋の船出の心設け、朝廷にも、疎かならず思し営み、並べる人々も常に訪ひ来つつ、心は心として明かし暮らす。暇なくあはただしき心地のみすれど、「おのづから花の一枝見付くる縁や」と、まだ見ぬ所々もゆかしう、山林の様もおぼつかなきにもてなして、人遣りならず巡り見れど、その一房の跡形もなし。
五月になると、弁少将は秋の船出の準備や、公事にも、疎かならず出仕し、ともに仕える人々も常に訪ね来て、思いとはうらはらに日は過ぎて行きました。暇もなくあわただしく思いながらも、「牡丹の花の一枝を見付けることができるのだろうか」と、まだ探していない所々に望みをかけて、山林までをももしやと、自ら足を運んで捜し求めましたが、花の一房さえ見付けることはできませんでした。
(続く)