月の面白き夜、源宰相、中の大殿に立ち寄り給ひて、「兵衛の君、立ち出で給へ。月、いと面白し」など聞こえ給ひて、御前の花盛り、色々の花の蔭に立ち寄り給ひて、かくのたまふ。
花盛り 匂ひこぼるる 木隠れも なほ鶯は 鳴く鳴くぞ見る
などのたまひて、松の木のもとに立ち寄りて、かくなむ。
岩の上に しひて生ひ添ふ 松の音の 誰聞けとてか 響きますらむ
とのたまふ時に、皆人あはれがる。
木工の君といふ人、
労りある者にて、「これを聞き知らぬやうなるは、いと情けなし」とて、君たちをも、「なほ、こればかりをば聞こえ給へ」と聞こゆれば、ちご君なむ、御前なる
筝の琴に弾き鳴らし給ひける。
響くとも 音には聞こえで 末の松 今宵も越ゆる 波ぞ知らるる
また、宰相の君、
涙川 汀や水に まさるらむ 末より滝の 声も淀まぬ
月が美しい夜に、源宰相(源実忠)は、藤原の君の御殿に立ち寄って、「兵衛佐(源顕澄)よ、出て参られよ。月が、とても綺麗だ」などと言って、目の前の花盛りになった、色々な花が咲き誇った木の陰に立ち寄って、こう言いました。
花盛りで匂いがこぼれる木の陰で、鶯がしきりに鳴いている。どうか、部屋から出てわたしに会っておくれ。
などと言って、次に松の木の下に立ち寄って、言いました。
岩の上に根を張る松風の音は、誰に聞かせるためだろう(貴宮ですね)、より響きをましているようだ。
と言っていると、御殿の人は皆、源宰相のことがかわいそうになってきました。木工(木工寮は、宮内省に属する機関でした)の君という者(貴宮の女房)は、思いやりのある人でしたので、「源宰相に返事をしないのは、あまりにもかわいそうなことです」と言ったので、他の者たちも、「まあ、今回だけは」と言って、ちご君(藤原の君の十女、貴宮のすぐ下の同母妹、貴宮は九女)が、前に置かれた筝の琴(琴です)を弾き鳴らしました。
源宰相は松風が響くといいますが、わたしには何も聞こえません。末の松山ではありませんが源宰相に聞こえるのは波の音では(この歌は、「古今和歌集」の第1093番の「君をおきて あだし心を 我がもたば 末の松山 浪も越えなむ」を引用しています。意味は、「あなたをさし置いて浮気心をわたしが持ったとすれば、末の松山〈今の宮城県多賀城市あたりらしい、二本の松の木があるそうです〉を波が越えることでしょう」、末の松山は山というか小高い丘のようになっているらしく、そんなことはありえないという意味になるそうです。さて、「響くとも~」では、「越ゆる波」といっていますから、「越ゆる波」=「浮気心」となって、「浮気心が見え見えですよ」といっているわけですね。)
源宰相が答えて、
わたしの涙は汀([水際])の水にまさるほどに、とめどなく流れ落ちています。わたしの目から流れる涙は滝になって、常に音を立てて流れ出すのです。
(続く)