『まさに今こんかく塵深くして、竹簡いくばくの千巻ぞ。苔龍雲静かにして、松風ただ一声、てんちうくわせつ、相伝ふるに、主を失ふ。七月半ばの盂蘭盆、望むところ、誰にかあらん』と、泣く泣く当座にぞ書きける。まこと理極まりけり。しかれば、親の子を思ふ心ざしの深き事、父の恩を須弥に例へ、母の恩を大海に同じと言へり。もし我一劫の間説くとも、父母の恩、作る事なしと見えたり。胎内に宿り、身を苦しめ、心を尽くし、月を重ね、日を送り、生まるる時は、桑の弓・蓬の矢を以つて、天地四方を射、身体髪膚を父母に受け、敢へて損なひ破らざるを、孝の始めとす、襁褓の嚢に包まれしより、今に至るまで、昼夜に安き事なし。人の親の習ひ、我が身の衰へをば知らずして、子の成人を願ひしぞかし。この恩を捨て、いまだ盛りにも満ちずして、母に先立ちぬ。
『まさに今こんかく(芸閣?内御書所=平安時代、宮中で天皇の読む書物を保管した所)に塵深くして、埋もれたままの竹簡はいかほどか。苔龍(龍は土偏に龍。苔生した塚の意らしい)の雲は穏やかにして、松風がただ一声、てんちうくわせつ(薗中花月=風流?)を、伝えるとも、主(父=河津祐泰)はもうこの世におりません。七月半ばの盂蘭盆([もと中国で、盂蘭盆経に基づき、苦しんでいる亡者を救うための仏事で七月十五日に行われた。日本に伝わって初秋の魂祭りと習合し、祖先霊を供養する仏事となった])を、望む者など、わたしたちの他にはおりません』と、泣く泣くその場で書いたものでしょう。まこと至極当然のこと。子が親を思う心はそういうものでございますれば、とは申せ親が子を思う愛情の深さと申すものは、父の恩を須弥([須弥山]=[仏教の宇宙観において、世界の中央にそびえるという山。風輪・水輪・金輪と重なった上にあり、高さは八万由旬=三百二十一里])に例え、母の恩は大海の如しと申します。もしこのわたしが一劫([四十三億二千万年])の間経を唱えたところで、父母の恩には敵いません。母の胎内に宿り、身を苦しめ、心を尽くし、月を重ね、日を送り、生まれた時には、桑弓([桑の木で作った弓。昔、男児出産の時、この弓に蓬の茎ではいだ矢を番えて四方に射て将来の立身出世を祝った。古代中国の風俗による])・蓬の矢で、天地四方を射、身体髪膚([人間のからだ全体])を父母から受けて、損なわぬことこそ、孝行の一番なのに、襁褓([オムツ])に包まれてよりこの方、今に至るまで、昼夜心安まることもなかったことでございましょう。人の親と申すものは、我が身の衰えなど気にもかけず、ただ子の成人を願うものでございます。この母の恩を捨て、いまだ盛りにも満たずして、母に先立つとはのう。
(続く)