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「曽我物語」箱根にて仏事の事(その8)

宵暁よひあかつきの鐘の声、枕を並べし音には似ず、起きに見れば、馴れ来し人はよも添はじ。山の出づる月影を、心苦しく待ち得ても、見し面影には異なれば、これぞ、慰み給ふ事あらじ。まこと、夫婦の別れ、忍び難けれども、昔今も、力に及ばざる道なれば、思ひ慰み給ふべし。かのたうの玄宗の楊貴妃やうきひも、はつかに事を蓬莱宮ほうらいきゆうの波に伝ふらん、穆公ぼつこう弄玉ろうぎよくを思んぜしも、いたづらに鳳凰台ほうわうだいの月に寄す。かれを思ひ、これを思ふに付けても、昔を今になずらへて、一仏浄土じやうどの縁を結び、願はくは、九品くほん往生わうじやうの望みを遂げ、七世の父母ぶも六親りくしん眷属けんぞく成仏じやうぶつ」と、回向ゑかうの鐘を鳴らし、別当べつたう高座かうざを下り給ふとて、

定めなき 浮き世といとど 思ひしに 問はるべき身の 問ふに付けても

と詠じ給ひければ、聴聞ちやうもんの貴賎、あはれをもよほし、袖を絞らぬはなかりけり。




宵暁の鐘の音は、かつて祐成すけなりと枕を並べて聞いた音とは異なり、虎御前はその度に目を覚ましてとなりを見ましたが、慣れ親しんだ人はいませんでした。山の端にさし出た月影を、心苦しく待ちましたが、かつての面影は映らず、これも、慰めにはなりませんでした。まこと、夫婦の別れというものは、悲しみ忍び難いものですが、昔も今も、どうすることもできないものならば、せめて生前を偲び心慰めるほかありませんでした。かの唐の玄宗(唐第九代皇帝)の楊貴妃も、わずかに蓬莱宮の波に伝えたといいます(玄宗皇帝は、馬嵬ばかいが原で殺された楊貴妃のことが忘れられず、方士に命じ 魂魄の在処を尋ねさせた。蓬莱宮に訪ね至り楊貴妃に巡り会った方士が、玄宗の嘆きを伝え形見の品を、それも帝と密かに誓った言葉を承りたいと貴妃に願うと、貴妃は、七夕の夜、天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝と、その愛の永遠を誓ったことを打ち明けたそうな)、穆公(中国春秋時代秦の第九代)が弄玉(穆公の娘)ろうぎよくを思い出しては、ただ鳳凰台(穆公が弄玉のために造った高台。弄玉は鳳凰とともに鳳凰台から飛び立ってしまったらしい)の月を眺めるばかりだったとか。玄宗にせよ、穆公にしても、昔も今も何も変わりはないということです、ひたすら一仏浄土([阿弥陀仏 の極楽浄土])の縁を結び、願わくは、九品往生([阿弥陀様の極楽浄土に往生して成仏すること])の望みを遂げ、七世の父母、六親([父・母・兄・弟・妻・子])眷属([親族])を成仏されますように」と、回向([仏事供養])の鐘を鳴らし、箱根別当(行実ぎやうじつ僧正)が高座([仏教において、説教あるいは戒律を授けるために設ける高い座席])を下りながら、

老少不定の定めなき浮き世とは思いながらも、弔われるはずの我が身が弔うことになるとは、思ってもみなかったことです。

と歌を詠めば、聴聞の貴賎の、悲しみを誘い、袖を絞らぬ者はいませんでした。


続く


by santalab | 2015-02-13 08:04 | 曽我物語

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