月卿雲客、花の袂を重ね、玉の裙を連ね、右近の馬場、供奉せらる。この事、希代の勝事、天下の不思議とぞ見えし。御子たちも、東宮の浮沈、これにありと見えし。しかれば、様々の御祈りどもありける。惟喬の御祈りの師には、柿本の紀僧正真済とて、東寺の長者、弘法大師の御弟子なり。惟仁の親王の御祈りの師には、我が山の住侶に、恵亮和尚とて、慈覚大師の御弟子にて、めでたき上人にてぞ渡らせ給ひける。西塔の平等坊にて、大威徳の法をぞ行ひける。
月卿雲客([公卿と殿上人])は、華やかな袂を重ね、煌びやかな裙を連ね、右近の馬場まで、お供いたしました。これは、希代の勝事、天下の不思議と思われました。皇子たちも、東宮の浮沈が、これによって決まると思っておりました。ですから、様々のお祈りがありました。惟喬親王の祈りの師には、柿本の紀僧正真済と申して、東寺(現京都市南区にある寺)の長者(東寺長者=東寺の最高責任者)で、弘法大師(空海)の弟子でした。惟仁親王の祈りの師には、我が山(比叡山延暦寺)の住侶([寺に住む僧侶])で、恵亮和尚と申して、慈覚大師(円仁。第三代天台座主)の弟子でした、霊験あらたかな上人でございました。西塔の平等坊で、大威徳の法([大威徳明王=五大明王の一で西方の守護神。を本尊として行う修法])を行いました。
(続く)