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「曽我物語」伊東の次郎と祐経が争論の事(その4)

そのじやうにいはく、

伊豆いづの国の住人ぢゆうにん伊東工藤一臈たひら祐経すけつね、重ねて言上ごんじやう、早く、御裁許さいきよかうぶらんと欲する子細の事。右くだんでう祖父おほぢ久須見くすみ入道にふだう寂心じやくしん他界の後、親父しんぷ伊東武者祐継すけつぎ、舎弟祐親すけちか兄弟きやうだいの仲、不和なるに依つて、対決度々に及ぶといへども、祐継すけつぎ当腹たうぶく寵愛たるに依つて、安堵の御下し文を賜はつて、既に箇年をへをはんぬ。ここに、祐継すけつぎ、一期限りの病ひのゆかに臨む刻み、河津かはづ次郎じらう、日来の意趣を忘れ、たちまちにとぶらひ来たる。その時、祐経すけつねは、生年しやうねん九歳きうさいなりき。叔父をぢ河津の次郎に、地券ぢけん文書もんじよ、母ともにあづけ置きて、八箇年の春秋を送る。親方にあらずは、しこうのしんとまうすべきや。所詮、世のけいに任せ、伊東の次郎じらうに賜はるべきか、また祐経すけつねに賜はるべきか、相伝さうでん道理だうりについて、憲法けんばう上裁じやうさいあふがんと欲す。よつて、誠惶せいくわう誠恐せいきよう言上ごんじやうくだんの如く。
仁安二年三月日 たひらの祐経

と書きてさうさう。




その申状には、

伊豆国の住人伊東工藤一臈平祐経(工藤祐経)が、重ねて言上いたします、早く、御裁許([判決])いただけますようお願い申し上げます。右の件の趣旨でございますが、祖父であります久須見入道寂心(工藤祐隆すけたか)が他界の後、親父伊東武者祐継(工藤祐継)、弟の祐親(伊東祐親)、兄弟の仲は、不和でした、対決度々に及びましたが、祐継は、当腹([正妻の子]。祐経)を寵愛しておりましたので、安堵([主君が家臣に対して所領知行=土地権利。や所職の存在 ・継続・移転などを保証・承認する行為])の下し文([院庁・寺社・幕府などから、 その支配下にある役所・人民に下した命令の公文書])を賜わり、すでに数箇年を経ました。しかしながら、祐継が、今際の病いの床に臨んで、河津次郎(伊東祐親すけちか)が、日頃の意趣([恨み])を忘れ、たちまちに訪ねて来たのです。この時、わたし祐経は、生年九歳でした。父祐継は叔父の河津次郎に、地券([官発給の、土地所有に関する証書])文書を、母ともに預け置いて、八年の春秋([年月])を送りました。親方([弟子・奉公人・部下などを抱えて、親のように保護したり、指導したりする人])と仰ぐべきでないものに、しこう(祗候=謹んで貴人のそば近く仕えること?)の臣としてお仕えすることがございましょうか。詰まるところ、世のけい(経=正しい道理?)に依って、伊東次郎(伊東祐親)に賜わるべきでしょうか、それともこの祐経(工藤祐経)に賜わるべきものでしょうか、相伝の道理について、憲法の上裁を仰ぎたいと考えております。
よって、誠惶誠恐([まことに恐れかしこまること。臣下が天子に自分の意見を奉るときに用いる])、以上の通り言上いたします。
仁安二年(1167)三月日 平祐経(工藤祐経)

と書いてありました。


続く


by santalab | 2015-03-02 08:33 | 曽我物語

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