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「曽我物語」伊東の次郎と祐経が争論の事(その8)

その後、伊東の次郎じらう、この事ありのままに京都きやうとへ訴へまうして、長く祐経すけつね本所ほんじよへ入れ立てずして、年貢・所当しよたうにおきては、芥子けしほども残らず、横領わうりやうするあひだ祐経すけつね、身の置き所なくして、また、京都にかへり上り、秘かにぢゆうす。伊東に、祐経は悩まされ、本意を忘れ、祐経が妻女さいぢよ取りかへし、相模の国の住人ぢゆうにん土肥とひ次郎じらう実平さねひらが嫡子弥太郎やたらう遠平とほひらに逢はせけり。国にはまた、並ぶ者なくぞ見えたり。しかれども、「功賞こうしやうなき不義のとみは、わざわひのなかだち」と、左伝さでんに見えたり。しかれば、行くすゑいかがとぞ思えし。




その後、伊東次郎(伊東祐親すけちか)は、この事をありのまま京都へ訴へ申して、以降祐経(工藤祐経)を本所([荘園領主・知行国主])と認めなかったので、年貢・所当([中世、割り当てられて官または領主に納める物品])は、芥子粒ほども残さず、横領しました、祐経は、身の置き所をなくして、また、京都に帰り上り、ひっそりと住むようになりました。伊東(祐親)に、祐経は悩まされ、本意を忘れ、一方伊東祐親は祐経の妻女(万劫御前)に取り返し、相模国の住人土肥次郎実平(土肥実平)の嫡子弥太郎遠平(土肥遠平)の妻になりました。国にはまた、並ぶ者はいないように思えました。けれども、「功賞なき不義の富は、禍いの元」と、左伝(『春秋左氏伝』。中国春秋時代の注釈書)に書かれています。ですから、行く末はどうなることかと思われました。


続く


by santalab | 2015-03-06 08:27 | 曽我物語

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