住み給ふ所は、七条の大路のほどに、二町の所、四面に、蔵建て並べたり。住み給ふ屋は、三間の茅屋、片しはつち、編み垂れ蔀。廻りは、檜垣。長屋一つ、侍、小舎人所、てう店、酒殿。殿の方は、蔀のもとまで、畑作れり。殿の人、上下、鋤、鍬を取りて、畑を作る。大臣、みづから作らぬばかりなり。かかるを、ある人、「御蔀のもとまで、畑作られ、御前近き対にて、かくせしめられたること、あるまじきことなり。この御蔵一つ開きて、清らなる殿買ひ造らせ給へ。『財には、主選く』となむ申すなる。天の下、誹り申すこと侍るなり」と申す。「あぢきなきこと。この大将主の、大きなる所に、よき屋を造り建てて、天の下の好き者どもを集めて、物をのみ尽くすは、何の清らなることか見ゆる。その物を貯へて、市し、商はばこそ、賢からめ。我、かかる住まひすれども、民のために苦しみあらじ。清らする人こそ、朝廷の御ために妨げをいたし、人のために苦しみをいたせ」などのたまふほどに、小さくて、病して、ほとほとしかりけるに、親、大きなる願どもを立てたりけり、亡くなりにける時に言ひ置きけれど、かかる財の王にて果たさず、その罪に、恐ろしき病付きて、ほとほとしくいますがり。市女祭り祓へせさせむとする時に、のたまふ、「あたらものを。我がために、塵ばかりのわざすな。祓へすとも、打撒きに米要るべし。籾にて種なさば、多く生るべし。修法せむに、五石要るべし。壇塗るに、土要るべし。土三寸の所より、多くの物出で来。楝の枝を一つに、実の生る数あり。菓物に食ふに、よき物なり。胡麻は、油に絞りて売るに、多くの銭出で来。その糟、味噌代に使ふに、よし。栗、麦、豆、ささげ、かくの如き雑役の物なり」とて、せさせ給はず。
住む所は、七条の大路(今の七条通)あたりに、二町の広さで、四面に、蔵を建てて並べていました。住む殿(寝殿)は、三間(普通は五間らしい)の茅葺き([みすぼらしい家])で、片側は壊れて(「はつれ」)、編み垂れ蔀(編んで垂らした簾?)を掛けてありました。殿のまわりは、檜垣([檜の薄板を編んで作ったもの])で囲ってありました。長屋が一つ、侍([侍所]=[侍の詰所])、小舎人所([小舎人の詰所])、てう店(?)、酒殿([酒を作るための建物])がありました。殿の方は、蔀([戸])の近くまで、畑が作られていました。殿の使用人たちは、身分の上下を問わず、鋤や、鍬を持って、畑を作りました。大臣が、自ら作らないばかりでした。このような殿でしたので、ある人が、「戸の元まで、畑を作って、寝殿のまわりまでも、こうして一面の畑で占められているのは、とんでもないことです。この家の蔵を一つ開いて、美しい御殿を建ててはどうです。『財は、持ち主を選ぶ』と申します。世の人に、悪口を言われますよ」と言いました。大臣は答えて、「なんともつまらないことを申すものよ。わたしの家は、広いが、りっぱな御殿を造って、天下の物好きたちを集めて、贅沢のかぎり尽くしたところで、何が楽しかろう。そんなことをするのなら貯えをして、市を開き、商いをするのが、賢いというもの。わたしは、このような暮らしをしておるが、人に苦しみを与えてはおらぬ。りっぱな御殿を持つような者こそ、朝廷の邪魔をして、人に苦しみを与えておる」などと申しているうちに、幼い子が、病気にかかりました、命に関わる病いでしたので、親(大臣)に、大願([仏が衆生を救おうとする誓願])を立てて懇ろに弔ってほしいと、亡くなる時に遺言しましたが、これほどの金持ちでしたので行うはずもなく、その罪で、大臣はひどい病いにかかって、なんとか命を繋ぐばかりになってしまいました。市女(大臣の妻)は祈願祓いをさせようとしましたが、大臣が申すには、「もったいないことをするな。わたしには、何の役も立たない。祓いをすれば、打撒きのために米がいる。代わりに籾にして種をまけば、たくさんの米が生るものを。修法([密教の加持祈祷、壇を設けて本尊を安置し、護摩をたいて、真言を唱えるとのこと])するには、五石(一石は約180リットル、つまり、五石は一升瓶五百本分)の米が必要だ。壇([修法に用いる檀])を造るにも土が入る。土が三寸(一寸は約3cm)もあれば、たくさん作物が出来るのだ。たとえば、楝([センダン、センダン科])の枝一つにも、実(黄色い丸い実らしい)がたくさん生る。果物として食えば、うまい。胡麻は、油を絞って売れば、多くの銭になる。油を絞った糟は、味噌の代わりに使えば、よいのだ。栗、麦、豆、ささげ([大角豆、マメ科])、すべていろいろ役に立つものだ」と申して、祓いをさせませんでした。
(続く)