ここに、祐経が二人の郎等大見・八幡は、これを聞き、斯様のところこそ、よき便宜なれ、いざや、我ら、便りを狙はんと、各々、柿の直垂に、鹿矢さけたる竹箙取りて付け、白木の弓のいよげなるを打ち担げ、勢子に掻き紛れ、狙ふ所々は、一日は柏峠、熊倉、二日は荻窪、椎沢、三日は長倉が渡、朽木沢、赤沢峰を始めとして、七日が間、付き巡りてぞ狙ひける。しかれども、伊東、国一番の大名にて、家の子・郎等多かりければ、容易く討つべき様ぞ、なかりける。
ここに、祐経(工藤祐経)の二人の郎等([家来])大見(大見小藤太成家)・八幡(八幡三郎行氏)は、これを聞いて、これは、よい機会ではないか、さあ、我らは、道中を狙おうと、各々、柿の直垂([鎧の下に着る衣])に、鹿矢([狩猟用の矢])を差した竹箙([矢を入れる容器])を付け、白木の弓のよいものを肩に提げ、勢子([狩猟を行う時に、山野の野生動物を追い出したり、射手のいる方向に追い込んだりする役割の者])に交じって、狙う所々は、一日目は柏峠、熊倉、二日目は荻窪、椎沢、三日目は長倉の渡(狩野川の渡?)、朽木沢、赤沢峰をはじめとして、七日間、付きまとい狙いました。けれども、伊東(伊東祐親)は、国一番の大名で、家の子([一門])・郎等([家来])が多くいましたので、容易く討つことは、できませんでした。
(続く)