かくて、例の宰相、兵衛の君を呼びて、物語などし給ふ。「一日、いとうれしく、御返りを聞こえで、賜へりしを、『すなはち』と思ひ給へたりしに、比叡の渡りに、『物忘れせさせ給へ』と申しつるほどになむ」。兵衛、「久しくおはしまさざりつれば、『いづくにならむ』と、大臣の君も聞こえ給ひ、大殿よりも聞こえ給ひしは、山籠りし給へるにこそありけれ」。「心静かにてこそ、宮仕へもすれ。世にあるべくも思へぬには、誰がためかは交じらひをもせむ」とのたまひて、御返り書き置く。「山に賜はせたりしは、『すなはちこそ聞こえさせむ』と思ひ給へたりしか。塵の山は、さのみやは」とて、
恨むれど 嘆く数にも 居ぬ塵や 深き愛宕の 峰となるらむ
とて、兵衛の君に、「これ参らせ給ひて、御返り賜はりて、賜へ。類なくうれしかりしを、今またなしてなむ。なほ、御心留めて思ほせ」。兵衛、「さ思ひ給ふれど、『ふるさとものし給ふ』とこそ思しためれ」。「いで、まろぞ、
綻び縫うはむだにぞ持たらぬ。よし、見給へ」とて、
綾掻練の
袿一
襲・
小袿・
袷の袴賜ふとて、
唐衣 解き縫う人も なきものを 涙のみこそ すすぎ着せけれ
とて、取らせ給ふ。兵衛、「この御綻びこそ、心憂けれ。
縫ひしをも綻ぶまでに忘るれば結ばむこともいかがとぞ思ふ」
さらに見給へじ。「『何にか参りつる』とのたまはむものを。召しありとも、今は参り来じ」。
答へ、「怪しく物給ふかな。『対面したりつる』と、な聞こえ給ひそかし。あまりも怖ぢ聞こえ給ふかな」など、物語多くし給ひて、兵衛は
参上りぬ。
兵衛、この文奉りて、のたまひし事ども聞こゆ。答へもし給はず。
こうして、例の宰相(源宰相=源実忠)は、兵衛の君(藤原の君の九男、兵衛尉頼澄)を呼んで、話しました。実忠は「一日中、とても楽しみにしておったが、貴宮からの返事はないままじゃ、返事など、『すぐに来る』と思っておったが、返事がないので比叡山に詣でて、『忘れさせ給え』と祈っておったのじゃ」と言いました。兵衛の君は、「しばらくお目にかかりませんでしたので、『どちらにおられるのか』と、大臣(兵衛の君の父、正頼)も申し、大殿(実忠の姉らしい)も申しておりましたが、山籠りしておられたのですか」と訊ねました。実忠は「心穏やかにしてこそ、宮仕えもできるというもの。世にいたいとも思わなければ、いったい誰と顔を会わせられましょう」と書いて、貴宮からの返事が欲しいと書き置きしました。「山に祈り申したのは、『すぐに返事がもらえるように』と思ったからなのじゃ。塵の山は、こうしてできるのものなのか」と言って、
いくら恨んだところで嘆く涙の数には敵いません。積もり積もって山深い愛宕山(今の京都市右京区にある山)の峰ほどにもなりましょう。
と書いて、兵衛の君に、「これを持って、返事をもらって、来てはもらえぬか。返事をもらえることを楽しみにしておる、一度返事が欲しいのじゃ。いいか、返事を忘れるでないぞ」と言いました。兵衛の君は、「わかりましたが、貴宮は『妻がおられる』と思っているようです」と言いました。実忠は、「そうなのか、よく聞くのじゃぞ、わしには綻びを縫う女さえおらぬ。よし、これを見よ」と言って、綾の掻練([練って柔らかくした絹])の袿([貴族の男性が狩衣や
直衣の下に着た衣服])一揃え・小袿([貴族の女性が、
裳とともに着用した広袖の上着])・袷([裏地を付けたもの])の袴を与えながら、
唐衣を解き縫う人もいないので、ただ涙ですすいで着ているのだ。
と言って、兵衛の君に取らせました。兵衛の君は、「この綻びを見ると、気の毒に思います。
縫った衣が綻ぶまでに忘れておられるのであれば、再び結ぶのもどうかと思われます。」
と言って再び綻びを見ることはありませんでした。兵衛の君は「貴宮は『どうして源宰相の所になど行ったのか』と聞くことでしょう。参れと命じられても、これでは貴宮の許へ行くことはできません」と答えました。実忠は、「おかしなことを言うやつじゃ。『わしと対面した』と、答えればよいではないか。あまり恐れることではないぞ」などと、言い含めたので、兵衛の君は帰っていきました。
兵衛の君は、この文を貴宮に手渡して、源宰相が申した通り貴宮に話しました。貴宮は返事をしませんでした。
(続く)