兵衛佐殿、この由御覧じ、「如何に頼朝が情け捨てて、仇を結び給ふか。大庭の人々」と仰せられければ、大庭の平太承り、「田舎住まひの者ども、出仕馴れ候はで、斯かる狼藉を仕り候ふ。相撲は負けても、恥ならず、我が方人は言ふべからず、一々に識し申すべきぞ。後日に争ふな」と怒りければ、大庭の鎮め給ふ上はとて、鎮まりけり。伊東は、もとより意趣なしとて、やがて面々にこそ鎮まりけれ。これや、瓊瑶は少なきを以つて奇なりとし、磧礫は多きを以つて賎しとす。人多しと雖も、景信が言葉一つにてぞ、鎮まりける。
兵衛佐殿(源頼朝)は、これを見て、「なぜにこの頼朝の情け捨てて、争い合うのだ。大庭の人々よ」と申せば、大庭平太(大庭景義)はこれを聞いて、「田舎住まいの者ども故、出仕に馴れておらず、このような狼藉を働きました。相撲は負けても、恥ではございません、我が方人([味方])は申すまでもなく、一々に詫び申すべきであるぞ。後日に争うことのなきよう」と怒ったので、大庭(景義)が事を鎮める上はと、騒動は鎮まりました。伊東(伊東祐親)も、もとより意趣([恨み])はないと申したので、やがて面々も鎮まりました。これは、瓊瑶([美しい玉])は数少ないからこそ珍重され、磧礫([石ころ])はどにでもあれば大事にされない。人は多くいるといえども、景信(景義)の言葉一言で、皆鎮まりました。
(続く)