然れば、仏は、衆生善悪隔てなき由、説き置かせおはしますものを。さあらば、親と成り、子と成り、師と成り、弟子と成り、これ皆一心の願に依り、山河大事、ことごとく阿字の一字にこそ収まりて候へ」と怒りければ、母、控へたる袖を少し許しけるところに、棄恩入無為、真実報恩者の理をつぶさに説きければ、母、涙を抑へて、「然らば」とて、許しけり。証空嬉しくて、急ぎ坊に帰りけり。孝行のほどぞ頼もしき。
なれば、仏は、衆生を善悪隔てなく救済されると、説いておられます。そういうことですから、親となり、子となり、師となり、弟子となるのも、皆一心の願に依るもの、山河大事(山河大地?)は、すべて阿字([梵語字母の第一。密教ではこの字に特殊な意義を認め、宇宙万有を含むと説く])の一字に込められているのです」と力説すると、母は、握りしめた袖の手を少し緩めました、証空は棄恩入無為([僧侶が出家するとき、俗世間を捨てて仏弟子になる心を表明するために髪を剃り、円頂になること])、真実報恩者(『流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者』。出家する時に唱える偈文らしい)の理を詳しく説きました、母は、涙を抑えて、「ならば」と申して、許しました。証空はうれしくて、急ぎ僧坊に帰りました。証空の孝行は頼もしいものでした。
(続く)