五朗も、名残りの涙抑へ兼ね、余所目にもてなしけるが、妻戸の閾につまづきて、うつ伏しに倒れけれども、人目に漏らさじとて、「色ある小鳥の、東より、西の梢に伝ひしを、目に懸け、思はずの不覚なり」とて、打ち笑ひける。母、これを見給ひて、「今日の道、思ひ止まり候へ。門出で悪しし」とありければ、五朗立ち帰り、「馬に乗る者は落ち、道行く者は倒る。皆人毎の事なり。これはとて、止まり候はんには、道行く者候はじ」と、打ち連れてこそ出でにけれ。五朗は、なほ母の名残りを慕ひ兼ね、今一度とや思ひけん、「扇の見苦しく候ふ」とて、帰りにければ、母、これをば夢にも知らずして、「折節、扇こそなけれ、悪けれども」とて、賜びにけり。時致、これも形見の数と思ひ、母の賜はるよと思へば、扇さへなつかしくて、開きて見れば、霞に雁がねをぞ描きたりける。
五朗(曽我時致)も、名残りの涙を抑へえかねて、余所を向いて紛らわせていましたが、妻戸([寝殿造りで、建物の四隅に設けた外側に開く両開きの板戸])の閾([門の内と外を区切る境目の木])につまづいて、うつ伏せに倒れてしまいましたが、人目を恥じて、「色のきれいな小鳥が、東より、西の梢に伝うのを、目で追って、思わず不覚を取ってしまいました」と申して、笑いました。母は、これを見て、「今日の旅立ちを、思い止まってはどうですか。門出悪く思います」と申せば、五朗は振り返り、「馬に乗る者は落ち、道行く者は倒れることもあります。皆人そうです。だからと言って、門出を止めていれば、道行く者はいなくなってしまいます」と申して、十郎(曽我祐成)に付いて出て行きました。けれども五朗は、なおも母の名残りを惜しんで、もう一度と思ったのか、「扇がみすぼらしくて」と申して、戻ると、母は、思いもかけず、「ちょうど、扇がなくて、良いものではありませんが」と申して、扇を与えました。時致は、これも形見と思い、母からもらったと思えば、扇さえなつかしくて、開いて見れば、霞に雁が描いてありました。
(続く)