昔を思ふに、天地既に分かち、国未だ定まらざる時は、人寿二万歳を保ちける。迦葉尊者は、西天に出世し給ふ。大聖釈尊は、その教義を得て、"都率天に住し給ふ。「我、八相成道の後、遺教流布の地、いづれの所にかあるべき」と、この南閻浮洲をあまねく飛行して御覧じけるに、遠々たる大海の上に、「一切衆生、悉有仏生、如来常住、無有変易」。立つ波の声あり。この波の止まらん所、 一つの国と成りて、我、仏性を広め通ずべき霊地たるべし」とて、遙かの十万里の滄海を凌ぎて行くに、葦の葉一つ浮かみたる所に、この波流れ止まりぬ、今の比叡山の麓、大宮権現のまします波止土濃これなり。然ればにや、「波止まり、土細やかなり」と書けり。
昔を思えば、天地を分けず、国土が定まらない時代には、人の寿命は二万歳でした。迦葉尊者([釈迦十大弟子の一人。頭陀第一 ])は、西天([西方浄土。極楽])に出世([諸仏が衆生救済のためにこの世界に姿を現すこと])されました。大聖釈尊(釈迦)は、その教義を得て、都率天([欲界における六欲天の第四の天部])に住んでおられました。「わたしは、八相成道([釈迦八相]=[釈迦が一生涯に経た八つの重要な段階。降兜率・托胎・出胎・出家・降魔・成道・転法輪・入滅の八つの相])の後、遺教([昔の人の残した教え])流布の地を、いずれの地にすべきか」と、この南閻浮洲([南閻浮提]=[須弥山の南方の海上にあるという島の名])を隈なく飛行してご覧になられました、遥か遠く大海の上から、「一切衆生、一人残らず仏生あり、如来=仏の本体。が常住し、変わることなし」。と立つ波の声がしました。この波が打ち寄せる所、一国と成り、わたしが、仏性を広めるべき霊地となるであろう」と申して、遙かの十万里の滄海([あおあおとした広い海])を進み行くと、葦の葉が一つ浮かぶ所で、波の流れが止まっていました、今の比叡山の麓、大宮権現(山王権現)のおられる波止土濃(現京都市下京区波止土濃町)です。波止土濃は、「波止まり、土細やか」と書きます。
(続く)