五朗、詳しく承りて、「首を召されんにおいては、逃るる所あるべからず。しばらくも宥められ申さん事、深き愁へと存ずべし。母が事は、忝く仰せ下され候へども、故郷を出でし日よりも、一筋に思ひ切り候ひぬ。御恩に、今一時も疾く、首を召され候へ。兄が遅しと待ち候ふべし。急ぎ追ひ付き候はん」と進みければ、力なく、御馬屋の小平次に仰せ付けられ、斬らるべかりしを、犬房が、「親の仇にて候ふ」とて、平に申し受けければ、渡されにけり。口惜しかりし次第なり。祐経が弟に、伊豆の次郎祐兼と言ふ者あり。五朗を受け取りて、出でにけり。時致、東西を見渡し、「某が姿を見ん人々は、如何に痴がましく思ふらん。さりながら、親の為に捨つる命、天衆地類も納受し給ふべし。付けたる縄は、孝行の善の綱ぞ。各々結縁にて掛け候へ」と申しければ、げにもと言はぬ人ぞなき。
五朗(曽我時致)は、残らずこれを聞いて、「首を召さるのであれば、逃れるところではございません。わずかも宥められると申されたことこそ、深い悲しみでございます。母のこと、恐れ多いことでございます。故郷を出た日より、きっぱりと思い切っておりまする。ご恩に、一時も早く、首を召されますよう。兄(曽我祐成)が遅しと待っております。急ぎ追い付きたいのです」と訴えたので、仕方なく、馬屋の小平次に命じて、斬られるはずでしたが、犬房(伊東祐時=工藤祐時)が、「親の仇でございます」と、懇願したので、身柄を渡されました。無念なことでした。祐経(工藤祐経)の弟に、伊豆次郎祐兼(伊東祐兼)と言う者がいました。五朗(時致)を受け取って、退出しました。時致は、東西を見渡し、「このわたしの姿を見る人々は、馬鹿な奴だと思っているであろう。とはいえ、親(河津祐泰)のために捨てる命を、天衆([天の諸神。])地類([地上にある万物])も納受([神仏が願いなどを聞き入れること])するであろう。付けた縄は、孝行の善の綱である。各々結縁([世の人が仏法と縁を結ぶこと])のために手に掛けなさい」と申せば、確かにと申さぬ人はいませんでした。
(続く)