時に、雲海沈々として、洞天に日暮れなんとす。悄然として、待つところに、玉妃出で給ふ。これ、即ち楊貴妃なり。右左の女七八人。方士揖して、皇帝安寧を問ふ。方士、細かに答ふ。言ひ終はりて、玉妃、証とや、簪を分きて、方士に賜ぶ。その時、方士、「これは、世の常にある物なり。支証に立たず。叡覧に備へ奉らんに、如何なる密契かありし」。
その時、雲海沈々([物音がなく静かな様。特に夜が静かに更けてゆく様])として、洞天([奥深い場所。婦人の部屋])に日は暮れようとしていました。悄然([ひっそりして寂しい様])として、待つところに、玉妃が出て来ました。これが、楊貴妃でした。右左には女が七八人。方士([中国古代の方術=仙人の使う霊妙な術。を行なった人])は揖([両手を胸の前で組み合わせて礼をする])すると、楊貴妃は皇帝の安寧([無事でやすらかなこと。特に、世の中が穏やかで安定していること])を訊ねました。方士は、詳しく答えました。方士が言い終わると、玉妃は、会った証拠として、簪を抜いて、方士に与えました。その時、方士は、「これは、世に普通にあるものです。支証([裏づけとなる証拠])にはなりません。叡覧に望んで、何か密契([秘密に結んだ約束])はございませんか」。
(続く)