道三郎承りて、「帰り候ふまじ、聞こし召せ、君をば乳の内より、某こそ取り上げ奉りては候へ。されば、九夏三伏の暑き日は、扇の風を招き、玄冬素雪の寒き夜は、衣を重ねて、膚を暖め参らせ、胆心も尽くし育て、月とも、星とも、明け暮れは見上げ、見下し、頼み奉り、御世にも出でさせ給ひ候はば、誰やの者にか劣るべき。頼もしくも、いとほしくも思ひ、奉り、今まで影形の如く、付き添ひ参らせたる験に、情けなく落ちよと承る。たとひ罷り帰りて候ふとも、千年万年を保ち候ふべきか。ただ御供に召し具せられ候へ」とて、幼き子の親の跡を慕ふ如くに、声も惜しまず泣き居たり。兄弟の人々も、心弱くぞ見えける。
道三郎はこれを聞き、「帰ることはできません、お聞きくださいませ、君を乳の頃より、わたしが見守って参ったのでございます。そして、九夏三伏([夏の、最も暑い土用の頃をいう])の暑い日は、扇で風を招き、玄冬素雪([雪が降る寒い冬の日])の寒い夜には、衣を重ねて、膚を暖めて、胆心を尽くし育て、月とも、星とも、明け暮れに見上げ、見下し、頼みとし、世に出られることを、誰にもまして願って参ったのでございます。頼みにも、いとおしくも思い、大切にして、今まで影のように、付き添って参りましたのに、情けなくも落ちよと申されますか。たとえ帰ったとしても、この無念は千年万年消えることはございません。ただお供に付けてくださいませ」と申して、幼い子が親の後を追うが如く、声も惜しまず泣きました。兄弟の人々(曽我祐成・時致)も、哀れに思いました。
(続く)