世始まりて後、この国の帝六十余代にならせ給ひにけれど、この次第書き尽くすべきにあらず。此方寄りての事を記すべき。世の中に、宇多の帝と申す帝おはしましけり。その帝の御子数多おはしましける中に、一の御子敦仁の親王と申しけるぞ、位に即かせ給ひけるこそは、醍醐の聖帝と申して、世の中に天の下めでたき例に引き奉るなれ。位に即かせ給ひて、三十三年を保たせ給ひけるに、多くの女御たち侍ひ給ひければ、男御子十六人、女御子数多おはしましけり。
世がはじまって後、我が国の帝六十余代になられました、一々に書き尽くすことはできません。近年について記すことにいたします。世の中に宇多天皇(第五十九代天皇)と申される帝がおられました。宇多天皇には皇子が数多くおられましたが、第一皇子敦仁親王と申される御子に、位をお譲りになられました、醍醐天皇(第六十代天皇)と申されて、世の中に天下に優れた天皇でございました。位に即かれること、三十三年間でございました、多くの女御たちがおられますれば、皇子十六人(十八人)、皇女も多くおられました(十七人)。
(続く)