ここに、懐島の平権守景信と言ふ者あり。このほど、兵衛佐殿、伊豆の御山に忍びてまします由伝へ聞き、「斯様の時こそ、奉公をば致さめ」とて、一夜宿直に参りけり。藤九郎盛長も、同じく宿直仕る。夜半ばかりに、打ち驚きて、申しけるは、「今夜、盛長こそ、君の御為に、めでたき御示現を蒙りて候へ。御耳をそばたて、御心を鎮め、確かに聞こし召せ。君は、矢倉岳に御腰を掛けられしに、一品房は、金の大瓶を抱き、実近は、御畳を敷き、成綱は、銀の折敷に、金の御盃を据ゑ、盛長は、銀の銚子に、御盃参らせつるに、君、三度聞こし召されて後は、箱根御参詣ありしに、左の御足にては、外浜を踏み、右の御足にては、鬼界島を踏み給ふ。
ここに、懐島(懐島郷。現神奈川県茅ヶ崎市)の平権守景信(平景信)と言う者がいました。このほど、兵衛佐殿(源頼朝)が、伊豆山に忍んでおられると聞いて、「このような機会こそ、奉公を致すべし」と、一夜宿直に参りました。藤九郎盛長(安達盛長)も、同じく宿直していました。夜半ばかりに、驚いた様子で、申すには、「今夜、盛長は、君(頼朝)にとって、めでたい示現([神仏が霊験を示し現すこと。神仏のお告げ])を蒙った。耳を近く寄せて、心を鎮め、確かに聞かれよ。君は、矢倉岳(現神奈川県南足柄市にある山)に腰を掛けられて、一品房(昌寛。鎌倉時代前期の僧で源頼朝の右筆=文官。事務方として鎌倉幕府創設期を支えた)は、金の大瓶を抱き、実近(青木実近?)は、畳を敷き、成綱(小野成綱)は、銀の折敷([食器を載せる食台の一種で 、四角でその周囲に低い縁をつけたもの])に、金の盃を据え、盛長(安達盛長)が、銀の銚子に、盃を参らせると、君(源頼朝)は、三度召されて、箱根山に参詣されたが、左の足で、外の浜([現青森県津軽半島東部の陸奥湾沿岸を指す古来の地名])を踏み、右の足で、鬼界島(鬼界ヶ島。薩南諸島の以下の島のいずれかと考えられている。硫黄島、喜界島)を踏んでおられた。
(続く)