「男になりたる」と言ふを、「法師になりたる」と聞き紛ひ、いつもの所に出で、「これへ」とのたまへども、身の科に依り、五朗、左右なく内へも入らざりけり。母待ち兼ねて、急ぎ見んとて、障子を開けければ、男に成りてぞ居たりける。母思ひの外にて、二目とも見ず、障子を引き立て、「これは夢かや、現かや、心憂や、今より後、子とも母とも思ふべからず。仮初めにも見えず、音にも聞かざらん方へ惑ひ行け。何の勇ましさに、男にはなりたるぞや。十郎が有様を、羨ましく思ふか。一匹持ちたる馬をだにも、けならかに飼はず、一人具したる下人にだにも、四季折節に扶持をもせず、明け暮れ見苦しげにて、目も当てられず。世にある人々の子どもを見る時は、誰かは劣るべきと思ふにも、涙の隙はなきぞとよ。思ひ知らずして、物に狂ふか、恨めしや。
母は「男になっております」と言うのを、「法師になられました」と聞き違い、いつもの所に出て、「ここへ」と申しましたが、身の咎により、五朗(曽我時致)は、中に入るのを躊躇しました。母は待ちかねて、急ぎ見ようと、障子を開ければ、男の姿になっていました。母は思いもしなかったことでしたので、二目とも見ず、障子を引き立て、「これは夢でしょうか、それとも本当のこと、情けないこと、今後、子とも母とも思いません。わずかも見えず、音にも聞かないところへ行きなさい。とんでもないことをしたものです、どうして男になどなったのです。十郎(曽我祐成)を、羨ましく思ったのですか。ただ一匹持つ馬でさえ、満足に飼えず、一人連れた下人にも、四季折節に扶持([給与])も与えられず、明け暮れみすぼらしくて、目も当てられないほどです。世にある人々の子どもを見ては、誰に劣るとも思いませんが、涙の乾く隙はないほどです。母の思いも知らずして、物に狂いましたか、ああ情けない。
(続く)