しかれども、御館の東の外れは、
秩父の館なりけり。折節、本田の次郎、小具足差し固め、夜回りの番なりしが、庭上に、「今宵も余しけるよ」と、小声に言ふ音しけり。いかさま、伊豆・駿河の盗賊の奴ばらにてあるらん、討ち止め、高名せんと思ひ、太刀の鍔元、二三寸すかし、足早に歩み寄りけるが、心を変へて思ふ様、一定、曽我の殿ばらの、日来の本意遂げんとて、夜昼付け廻りつる、然様の人にてもやと、障子の隙より、忍びて見れば、案にも違はず、兄弟は、敵の変へたる館を知らで、あきれてこそは居たりけれ。
けれども、館の東の外れは、秩父(秩父重忠=畠山重忠)の館でした。ちょうど、本田次郎(本田親経)が、小具足([鎧下の装束に付属品だけを着用して、鎧をつけない姿])に身を固め、夜回りの番をしていましたが、庭上に、「今宵も討てなかったな」と、小声で言う声が聞こえました。もしや、伊豆・駿河の盗賊の奴らではないか、討ち止め、高名を上げようと思い、太刀の鍔元を、二三寸抜いて、足早に歩み寄りましたが、ふと思うには、確か、曽我の殿どもが、日来の本意を遂げようと、夜昼付け回しておった、もしやその者ではないかと、障子の隙より、そっと見れば、思った通り、兄弟(曽我祐成・時致)が、敵(工藤祐経)が館を変えたのを知らずに、呆然としていました。
(続く)