これは如何に、一木瓜の幕をこそ打つべきに、心得ぬものかな、まことや、人々にあらず、知るを以つて人とし、家々にあらず、いづくを以つてか家とす、継ぐべきをば継がで、すずろなる曽我の某と呼ばれぬる上は、家の紋入るべからず、祐経は、まこととやらん、我々が先祖の知行せし所領を知るに依りて、斯様に成り行くものをや、哀れ昔、斯様にはなかりしものをと、見入れて通りけるに、祐経が嫡子犬房見付けて、「只今、この前を十郎殿通り候ふ」。左衛門聞きて、「玉井の十郎か、横山の十郎か」と問ふ。「曽我の十郎殿」と言ふ。「これは、祐経が館にて候ふ。立ち寄り給へ」と言はせければ、祐成、少しも憚らず、館の内へ入り見れば、手越の少将は、左衛門の尉が君と見えたり。黄瀬川の亀鶴は、備前の国吉備津宮の王藤内が君と見えたり。
これはどういうことか、一つ木瓜の幕をこそ打つべき(工藤氏の家紋は、庵に一つ木瓜)に、思いもしないことよ、まこと、人々にあらず、知るをもって人とし、家々にあらず、何をもってか家とする、継ぐべき者は家を継がず、思いがけなくも曽我の某と呼ばれる上は、家紋を打つこともない、祐経は、きっと、我々の先祖が知行した所領を所有するにより、このようなまねをするのか、ああ父(河津祐泰)が生きておれば、このようなことはなかったものをと、覗き見しながら通るのを、祐経(工藤祐経)の嫡子犬房が見付けて、「たった今、この前を十郎殿が通りました」。左衛門(祐経)はこれを聞いて、「玉井の十郎か、横山の十郎か」と訊ねました。犬房は「曽我の十郎殿(曽我祐成)です」と答えました。「ここは、祐経の館です。立ち寄られよ」と言いに遣らせれば、祐成は、少しも遠慮せず、館の内へ入り見れば、手越少将は、左衛門尉の君(妾)に見えました。黄瀬川の亀鶴は、備前国吉備津宮の王藤内(王藤内隆盛)の君に見えました。
(続く)