然れども、曽我兄弟の人々は、君の御前をも知らず、野干に心をも入れず、その人ばかりをぞ尋ねける。雑人に交はり、馬にも乗らざれば、一日に一度、余所ながら見る日もあり、ただ空しくのみぞ、日を送りける。さても、御狩の人々は、日の暮るるをも、時の移るをも知らずして、狩りけるに、午の刻ばかりに、狐鳴きて、北を指して飛び去りけり。人々これを留めむとて、矢筈を取りて追つ掛けたり。君御覧ぜられ、彼らを召し返し、「秋野の狐とこそいへ、夏の野に狐鳴く事、不思議なり。誰か候ふ、歌詠み候へ」と仰せ下されければ、祐経承りて、「まことに源太が歌には、鳴る神愛でて、雨晴れ候ひぬ。これにも歌あらば、苦しかるまじ。誰々も」と申されければ、大名・小名、我も我もと案じ、詠じけれども、詠む人なかりけり。
けれども、曽我兄弟の人々(曽我祐成・時致祐経)ばかりを探しました。雑人に交わり、馬にも乗りませんでしたので、一日に一度、遠くから見る日もありましたが、ただ空しく、日を送りました。さて、御狩の人々は、日の暮れるのも、時の移るのも知らず、狩りをしていましたが、午の刻([午前十二時頃])ばかりに、狐が鳴いて、北を指して飛び去りました。人々はこれを仕留めようと、矢を取って追いかけました。君(頼朝)はこれを見て、彼らを呼び返し、「秋野の狐ととは申せ、夏の野に狐が鳴くとは、不思議なことよ。誰かおらぬか、歌を詠まれよ」と命じると、祐経(工藤祐経)が承って、「まこと源太(梶原景季)の歌には、鳴る神([雷])も愛でて、雨は晴れました。これにも歌を詠めば、不思議もあろうというもの。さあ誰でもよい」と申すと、大名・小名、我も我もと案じ、詠もうとしましたが、結局詠む人はいませんでした。
(続く)