そもそも、一期の月影傾きて、余算山の端に近し。忽ちに三途の闇に向かはんとす。何のわざをか託たむとする。仏の人を教へ給ふ趣きは、事に触れて執心なかれとなり。いま草庵を愛するも科とす。閑寂に著するも、障りなるべし。いかが用なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさん。
そもそもこれを記そうと思い立ったのは、一期の月影は傾き、余算([残りの寿命])が山の端に近くなったからなのです。たちまちにして三途の闇に向かおうとしています。今さら嘆いたところで仕方のないことですが。仏がわたしたち人に教えられたことは、事に触れ執心([ある物事に心を引かれて、 それにこだわること])をなすべからずということなのです。わたしが今この草庵を愛するのも罪です。閑寂に執着するのも、障りとなりましょう。ならば役にも立たない楽しみを述べて、残りわずかの時を過ごすことにします。
(続く)