十郎が膝の上も、虎が涙に浮くばかりなり。袖も所狭くぞ思えし。十郎、つくづくと案ずるに、これほど思ひ入りたる心ざし、露ほども知らせずして、心強く隠し遂げぬるものならば、長き恨みとなりぬべし。もし立ち帰らぬ習ひあらば、思ひ出だして、念仏をも申すべし。然ればとて、人に漏らすなと言はん事を、徒にやすべき。その上、日数なければ、知らせばやと思ひ、「この事、母にだにも知らせ奉らで、今まで過ぎしかど、御身の心ざし切にして、知らせ奉るぞ。漏らし給ふべからず。まことの道心にもあらず、出家遁世にてもなし。年来、祐成が身に思ひありとは知り給ひぬらん。その本意を遂げんと思へば、この度出でて後、二度返るまじければ、相見ん事も、今宵計りなり。
十郎(曽我祐成)の膝の上も、虎御前が涙に浮くほどでした。袖も余すところはありませんでした。十郎は、よくよく考えて、これほどに情のあつい女に、わずかも知らせずに、強情に隠し通せば、永遠までの恨みとなるであろう。もしわたしが帰ることなくば、思い出して、念仏の一つも唱えることであろう。そうでなくとも、よもや他人に話すなと申せば、反古にするはずもない。その上、残る日数もあとわずか、ならば話そうと思い、「このことは、母にさえ知らせず、今まで過ごしてきたが、そなたの情がつくづく身に染みた、だから話すことにしよう。他人に漏らすでないぞ。本心は道心があるわけでもなく、出家して遁世することでもない。年来、この祐成の身に本望があることに気付いていたやも知れぬ。その本意を遂げんと思えばこそ、この度ここを出て後、再び戻って来ることはなかろう、そなたに逢うのも、今夜限りぞ。
(続く)