十四五にならせ給ふ御容の、ほの見奉りけん人は、いかならん武士なりとも、和らぐ心は必ず付きぬべきを、中将の御心持ちは理ぞかし。我も、幼うおはせし時は、片方に、「かくのみ幼き者はめでたきもの」とのみ、思し習ひたるを、やうやう物の心知り習ひ給ふままに、「この御様ならん人を見ばや。さらんこそ生ける甲斐なかるべけれ」と、思し染みにければ、かくいとすさまじき御心ながらも、おのづから心憎きあたりあたりを、「いかにせんいかにせん」とのみ、物嘆かしくなり給ひて、かやうの「よそかの中宮の亮の隠れ蓑」も、うらやましうなり給ひて、人知れず、一渡りづつ案内し給はぬ渡りはなきにや、少しうち準ひに思さるるもなきに、人知れぬ物思ひは、遣る方なく増さり給ひて、「『吉野の滝』とや遂に」とのみ、立ち居に仰せらるるこそ理なかりけれ。
源氏の宮が十四五になられてその姿かたちを、わずかに見た人は、たとえ厳しい武士であろうと、心が和むほどでしたので、中将【狭衣】が恋しく思うのも道理でした。狭衣も幼い頃は、心の片隅で、「幼い女は美しいもの」とばかり、思っていましたが、物心付くようになるにつれ、「何としても源氏の宮のような女を妻にしなくては。そうでなければ男に生まれた甲斐がない」と、思うようになりました、心は穏やかではありませんでしたが、源氏の宮に想いを寄せて、「どうすればよいものか」と、悲しみました、かの「よそかの中宮亮の隠れ蓑」(『隠蓑』という物語らしいが)さえも、うらやましく思いながらも、人知れず、女を一目ずつ見歩きたいと、世の男たちのように思うことはなく、人知れず悲しみは、慰めようもなく増さり、「『吉野の滝』(『み吉野の 吉野の滝に 浮かびいづる 泡をかたまの 消ゆと見つらむ』=『吉野の滝に浮かんでは消えるはかない泡のように、珠=魂。も消えてしまうようだ』)」と、狭衣は折に付けつぶやいてやりきれない様子でした。
(続く)