四月も過ぎぬ。五月四日にもなりぬ。夕つ方、中将の君、内裏より罷で給ふに、道すがら見給へば、菖蒲引き下げぬ賎の男もなく、行き違ひつつ、もて扱ふ様ども、「げに、いかばかり深かりける、十市の里の小泥なるらん」と見ゆる、足元どもの由々しげなるが、いと多く持ちたるも、「いかに苦しかるらん」と、目留まり給ひて、
浮き沈み ねのみながるる あやめ草 かかるこひぢと 人も知らぬに
とぞ思さるる。玉の
台の
軒端に掛けて見給へば、おかしくのみこそあるを、御車の
前に、顔なども見えぬまで、
埋もれて、行き遣らぬを、
御隋身どもおどろおどろしく、
声々、
追ひ留むれば、身のならんやうも知らず
屈まり
居たるを、見給ひて、「さばかり苦しげなるを、かくな言ひぞ」とのたまへば、「慣らひにて
候へば、さばかりの者は何か苦しう候はん」と
申す。「心憂くも、言ふものかな」と、聞き給ふ。
四月も過ぎました。五月四日になりました。夕方、中将の君【狭衣】は、内裏を出ました、道すがら眺めると、菖蒲を抱え持たない賎の男は一人もいませんでした、行き違いつつ、大変そうに見て、「まこと、どれほど深く入って取ったものであろうか、十市の里(現奈良県橿原市十市町。「遠」に掛かる)の小泥であろう」と見る、足元はすっかり泥にまみれて、たくさんの菖蒲を持つ姿に、「どれほどつらいことだろう」と、思わず目を留めて、
あやめ草のように、浮き沈みながら涙を流すばかり。わたしがこれほどまでに恋に苦しんでいることを、人は知らないが。
と思うのでした。玉の台([美しくりっぱな御殿])の軒端に掛かる菖蒲は、風流なものですが、車の前の、顔も見えぬほど、菖蒲を抱えて、歩くもままならぬ男を、隋身([近衛府の大将・中将・少将や、衛府・兵衛の長官や次官などに付き従い、その警護する者])が、厳しく、声を上げて、追い払うと、身を投げ捨てるように土下座するのを、見て、「菖蒲をかかえて難儀しておるではないか、罵るでない」と申せば、「世の常のことでございます、こやつどもは当たり前のことと思っております」と答えました。狭衣は「悲しいことを、言うものよ」と、聞きました。