さて御方々御台など参りて、昼つ方また御対面どもあり。宮はいと恥づかしう理なく思されて、「いかで見え奉らんずらん」と思し休らへど、女院などの御気色のいとなつかしきに、聞こえ返さひ給ふべきやうもなければ、ただおほどかにておはす。今日は、院の御経営にて、善勝寺の大納言隆顕、桧破子やうの物、色々にいと清らに調じて参らせたり。三廻りばかりは、各々別に参る。その後「余りあいなう侍れば忝けれど、昔様に思し準へ、許させ給ひてんや」と、御気色取り給へば、女院の御土器を斎宮参る。
その後方々に御台([飯・菜などを盛った器をのせる 長方形の台])が出されて、昼方にまた対面されました。斎宮(第八十八代後嵯峨天皇の第二皇女、愷子内親王)はとても恥ずかしく顔を合わすのも憚られて、「どうして会うことができましょう」と思いましたが、女院(大宮院。第八十八代後嵯峨天皇中宮皇太后、西園寺姞子)が親しげに申せば、断ることもかなわず、ただ何事もなかったようにしておられました。この日は院(第八十九代後深草院)の経営([主催])でした、善勝寺大納言隆顕(四条隆顕)が、桧破子([ヒノキなどの白木を薄くはいだ板で作られた運搬用食器])を、色々にたいそう美しく盛って参らせました。盃三廻りばかりは、各々呑まれましたが、その後「一人呑むのはつまらぬ、昔のように、盃を廻すのはどうか」と、申したので、女院(大宮院)は盃を斎宮に回されました。
(続く)