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「太平記」将軍薨逝の事(その1)

かかるところに、同じき九月下旬の頃より、征夷将軍義詮よしあきら身心例ならずして、寝食不快しかば、和気わけ・丹波の両流は不及申、医療にその名を被知ほどの者どもを召して、様々の治術ぢじゆつに及びしかども、かの大聖たいしやう釈尊しやくそん双林さうりん必滅ひつめつに、耆婆ぎばが霊薬もそのしるしなかりしは、まことに浮世の無常を、あらかじめ示し置かれし事なり。いづれの薬か定業ぢやうごふの病ひをば愈すべき。これ明らけき有待転変うだいてんべんことわりなれば、同じき十二月七日子の刻に、御年三十八にてたちまちに薨逝こうせいし給ひにけり。天下久しく武将のたなごころに入りて、戴恩慕徳の者幾千万と言ふ事を知らず。歎き悲しみけれども、その甲斐さらになかりけり。さて非可あるとて、泣く泣く薨礼の儀式を取り営みて、衣笠山きぬがさやまの麓等持院とうぢゐんに奉遷。




そうこうするほどに、同じ貞治ぢやうぢ六年(1367)九月下旬頃より、征夷将軍義詮(足利義詮。室町幕府第二代将軍)は病いにかかり、寝食も満足に取れぬほどでした、和気(現岡山県南東部)・丹波(現京都府中部・兵庫県東部)の両流(丹波は室町幕府初代将軍足利尊氏たかうぢの母上杉清子きよこの里で、尊氏は丹波で生まれたらしい。和気も尊氏に所縁がある場所)は申すまでもなく、医療にその名の知れた者たちを呼んで、様々な治術([治療])を行いましたが効果はありませんでした、かの大聖釈尊(釈迦)でさえ、双林([沙羅双樹の林])で入滅([涅槃に入ること])の時、耆婆(古代インドの名医。釈迦の弟子の一人)の霊薬も効き目がなかったといいますが、浮世の無常を、示し置かれていたのです。どんな薬ならば定業([前世から定まっている善悪の業報])の病いをいやすことができるのでしょうか。有待転変([人の身体が生滅変化すること])は明らかなる条理ですので、同じ年の十二月七日子の刻([午前零時頃])に、三十八歳で薨逝([皇族または三位以上の貴人の死去すること])しました。天下を長く思うままに治めて、恩を蒙りその徳を慕う者は幾千万と言う数を知らないほどでした。人々は歎き悲しみましたが、どうしようもありませんでした。仕方なく、泣く泣く薨礼の儀式を執り行い、足利義詮の体を衣笠山の麓にある等持院(現京都市北区にある寺。足利尊氏の開基)に移しました。


続く


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by santalab | 2015-10-29 12:57 | 太平記 | Comments(0)

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