去るほどに今年はいかなる年なれば、京都と鎌倉と相同じく、柳営の連枝たちまちに同根空しく枯れ給ひぬれば、誰か武将に備はり、四海の乱をも可治と、危き中に愁へありて、世上今はさてとぞ見へたりける。
思えば今年(貞治六年(1367))はどんな年であったのでしょうか、京都(足利義詮)と鎌倉(足利基氏。義詮の弟)は年を同じくして、柳営([幕府])の連枝([貴人の兄弟姉妹])がたちまちに同根([兄弟])ともに空しく薨逝([薨去]=[皇族または三位以上の貴人の死去すること])したので、誰が武将の器を備え、四海([全国])の乱を治めることができるのだろうと、心配の中で悲しみに満ちて、世の中はどうなることかと思われました。
(続く)