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「太平記」細川右馬頭自西国上洛の事

ここに細川右馬のかみ頼之よりゆき、その頃西国の成敗を司つて、かたきを亡ぼし人をなつけ、諸事の沙汰の途轍とてつ、少し先代貞永ぢやうえい貞応ぢやうおう旧規きうきに相似たりと聞こへける間、すなはち天下の管領職くわんれいしよくに居せしめ、御幼稚の若君を可奉輔佐べきと、群議同じ趣きに定まりしかば、右馬の頭頼之を武蔵のかみ補任ふにんして、執事職を司る。外相内徳げさうないとくげにも人の云いふに不違しかば、氏族もこれを重んじ、外様とざまもかの命を不背して、中夏無為ちゆうかぶゐの代に成つて、めでたかりし事どもなり。




細川右馬頭頼之(細川頼之)は、その頃西国を平定し、敵(斯波しば高経たかつねとその子義将よしゆき貞治ぢやうぢの変(1366))を亡ぼし兵を従わせて、諸事の沙汰([裁定])を型通り執り行い、先代の貞永(第八十六代後堀河天皇・第八十七代四条天皇の時代(1232~1233))・貞応(第八十六代後堀河天皇の時代(1222~1224))の旧規([昔からの規則])に倣ったと言われましたが、たちまち天下の管領職([室町幕府の職名。将軍を補佐して政務を総轄した])に任命しました、幼少の若君(室町幕府第三代将軍、足利義満よしみつ。第二代将軍、足利義詮よしあきらの子)を補佐すべきと、群議([多くの人々の議論])により定まったので、右馬頭頼之を武蔵守に補任([官職に任命すること])して、執事職として政治を執り行いました。氏族(足利氏)も細川頼之を重用し、外様([将軍の一門または譜代の家臣でない者])も足利氏の命に背くことなく、中夏([都])は無為([平穏無事なこと])の時代となりました、喜ばしいことでした。


(終)


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by santalab | 2015-10-30 07:26 | 太平記 | Comments(0)

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