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「増鏡」烟の末々(その12)

院の若宮十三にならせ給ふは、公宗きんむねの中将と言ひし人の娘の御腹なり。円満院の法親王の御弟子にならせ給ふべしとて、正月二十八日に、その御用意あり。承明門院より渡り給ふ。院の網代庇あじろびさしの御車にて、上達部は車、具実ともざねの大納言を上首にて六人、殿上人十六人、馬にて、色々にいとよそほしう、めでたくておはしましぬ。その夜、やがて御髪みぐし下ろして、御法名円助ゑんじよと聞こゆ。いと美しげさ、仏などの心地して、あはれに見え給ふ。院の宮達の御中には、御兄にて物し給へど、御外戚げさくの弱きは、今も昔もかかるこそ、いといとほしきわざなりけれ。御匣みくしげ殿の御腹の若宮も三つにならせ給へる、承明門院にて、御魚味聞こし召しなどすべし。これも法親王がねにてこそは物し給はめ。数多あまたの御中に、この御子は、御かたち優れ給へれば、院もいとらうたく思ひ聞こえさせ給ひけり。




院(第八十八代後嵯峨院)の若宮(第七皇子)は十三になられておられました、公宗中将(西園寺公宗)と申す人の娘(一条能保よしやすの娘らしい)の子でございました。円満院の法親王(第八十三代土御門天皇の皇子、仁助にんじよ法親王。後嵯峨天皇の同母兄)の弟子にならせようと、正月二十八日に、用意がございました。承明門院より渡られました。院の網代庇の車([唐破風からはふ造りの屋根と庇をつけた網代車。親王・摂関・大臣・大将などの乗用])に乗られて、上達部は車、具実大納言(堀川具実)を上首([集団の長])として六人、殿上人十六人、馬に乗られて、色々にたいそう飾り、厳しうございました。その夜、やがて髪を下ろされて、法名を円助と申されました(円助法親王)。たいそう美しく、仏のような気がいたして、ありがたく思われました。院(後嵯峨院)の宮達の中では、年長でございましたが、外戚([母方の親類])が非力では、今も昔も変わるところがございません、お気の毒なことでございました。御匣殿(三条公房きんふさの娘)の子の若宮も三つになられておられました、承明門院で、魚味始まなはじめ([平安朝の宮廷貴族社会で行われた通過儀礼の一つで、小児に初めて魚鳥の肉などの動物性食品を与える儀式])がございました。この皇子も法親王になられましたか(後嵯峨天皇の第六皇子、性助しようじよ入道親王)。数多の中に、この皇子は、姿かたち優れておられましたので、院もたいそうかわいがっておられました。


続く


by santalab | 2015-10-31 07:11 | 増鏡

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