哀れ古へならば、錦帳に装ひを篭め、紗窓に艶を閉ぢて、左右の侍女その数を不知、当たりを輝かして斎き傅き奉るべきに、いつしか引き替へたる御忍びの物籠もりなれば、都近けれども事問ひ交わす人もなし。ただ一夜の松の嵐に御夢を被覚、主忘れぬ梅が香に、昔の春を思し召し出だすにも、昌泰の年の末に荒人神と成らせ給ひし、心尽くしの御旅宿までも、今は君の御思ひに準へ、または御身の歎きに被思召知たる、哀れの色の数に、御念誦をしばらく被止て、御涙の内にかくばかり、
忘れずは 神も哀れと 思ひ知れ 心尽くしの 古の旅
と遊ばして、少し御
目睡みありけるその夜の御夢に、
衣冠正しくしたる
老翁の、年八十
有余なるが、左の手に
梅の花を一枝持ち、右の手に鳩の
杖を突き、いと苦しげなる
体にて、御局の臥し給ひたる枕の辺に立ち給へり。御夢心地に思し召しけるは、篠の小篠の一節も、可問人も思えぬ都の外の
蓬生に、怪しや
誰人の道踏み迷へる休らひぞやと御
尋ねありければ、この
老翁世に
哀れなる
気色にて、云ひ出だせる
詞はなくて、持ちたる
梅の花を
御前に差し置いて立ち
帰りけり。不思議やと思し召して御覧ずれば、一首の歌を短冊に書けり。
廻りきて 遂にすむべき 月影の しばし陰るを 何歎くらん
悲しいことに今までは、錦帳([錦で織ったとばり])の内に居て、紗([薄い絹織物])の窓には艶([美しさ])を閉じて、左右の侍女はその数知れませんでした、あたりを輝かして敬い大切に世話をすべきお方でしたが、いつしか忍んで籠もり居て、都近くながら話し相手もいませんでした。ただ一夜の松の嵐に夢から覚めて、主を忘れない梅の香りに、昔の春を思い出すばかり、昌泰(第六十代醍醐天皇の時の年号)の末に荒人神となった(菅原道真の)、心尽くし([悲しみ悩むこと])の旅宿までも、今は君(第九十六代後醍醐天皇)の思いに重ねて、または自身の悲しみが思い知られるのでした、悲しみに、念誦をしばらく止められて、涙の内に、
天神(菅原道真)の悲しみを忘れたことはございません、天神もどうか君(後醍醐天皇)とわたしの悲しみを思い遣ってくださいますように。君は天神が昔旅立たれたように、遠く隠岐に旅立たれました。
と書いて、わずかにまどろんだその夜の夢に、衣冠([平安中期以降,束帯に次ぐ正装])を正しくした老翁で、年八十に余り、左手に梅の花を一枝持ち、右手には鳩の杖([功労のあった老臣の慰労に宮中から賜った杖])を突いて、とても苦しそうに、三位殿局(阿野
廉子)が臥した枕元に立ちました。三位殿局は夢心地ながら、わずかも、訪ねる人があると思えぬ都の外の蓬生([ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所])に、不思議なことに誰人が道に迷って休まれておられるのかと思って訊ねると、この老翁はとても悲しそうな顔をして、何を申すともなく、持っていた梅の花を御前に差し置いて帰って行きました。不思議に思って見れば、一首の歌が短冊に書いてありました。
月は姿を変えるが、澄み渡る月影が、しばらくの間曇るばかりのことであるぞ、嘆き悲しむほどのことではない。
(続く)