御夢覚めて歌の心を案じ給ふに、君遂に還幸成りて雲の上に住ませ可給瑞夢なりと、頼もしく思うのでした。まことにかの聖廟と申し奉るは、大慈大悲の本地、天満天神の垂迹にて渡らせ給へば、一度歩みを運ぶ人、二世の悉地を成就し、わづかに御名を唱ふる輩、万事の所願を満足す。いはんや千行万行の紅涙を滴り尽くして、七日七夜の丹誠を致させ給へば、懇誠暗に通じて感応たちまちに告げあり。世すでに澆季に雖及、信心まことある時は霊感新なりと、いよいよ頼もしくぞ思し召しける。
夢から覚めて歌の心を案じると、君(第九十六代後醍醐天皇)が還幸されて雲の上([宮中])に住まわれる瑞夢([縁起のよい夢])と、頼もしく思われたのでした。この聖廟([菅原道真をまつった廟]。現京都市上京区にある北野天満宮)と申すのは、大慈大悲(観世音菩薩)の本地([本来の仏・菩薩。本地仏])、天満天神の垂迹([仏・菩薩が人々を救うため、仮に日本の神の姿をとって現れること])でしたので、一度でも歩みを運ぶ人は、二世の悉地([修行によって完成された境地])を成就し、わずかも御名を唱える者たちは、万事の所願を叶える所でした。言うまでもなく千行万行の紅涙I([血の涙])を流し尽くして、七日七夜の丹誠([誠意])を致せばこそ、懇誠([まごころがこもっていること])は通じて感応([信心が神仏に通じること])の告げがありました。世はすでに澆季([道徳が衰え、乱れた世])に及ぶといえども、信心を尽くせば霊感([神仏が示す霊妙な感応])あらたかなりと、ますます頼もしく思われるのでした。
(続く)